何をどうしろと?

rekihikoさんより久しぶりにツイッタートラックバックを頂いた。残念ながらブログをもうやっておられないようだが、ツイッターで活発に活動されておられるようだ。何よりである。

id:syachiku1氏の議論も、パール判事関連の本を数冊読んだだけで、東京裁判国際法に関する膨大な蓄積を無視して、「パルは正しい、左翼はなぜ認めない」とかふっかけてくるから、おかしな議論になる。氏はまだ自身の不勉強を自覚しているので、ならもっと勉強すればいいのに・・・。

単なる言い訳になるが、専門の書籍を買う金銭的余裕も無ければ、それを読む時間的余裕も余り無い。パール判事ばかり持ち出して、他に言う事が無いのかと言われれば、無いとしか言いようが無いのも確かである。しかし私への批判が「不勉強」の一言で片付けられてしまうと、それ以上議論を進めようが無いのだ。

id:rekihikoさんにせよ、id:Apemanさんにせよ、私がパール判事にばかり固執している事に批判的である。それしか言う事が無いのかと揶揄されるのも仕方無いのだろう。しかし両名とも、「パール意見書」の内容にまで踏み込んだ批判は全くしていない。

rekihikoさんはパール判事の法解釈が「法実証主義」的であると指摘しているが、以前にも言った通りパール判事は「事後法だから駄目」だなんて単純な事は言っていない。そのような事を言うのであれば、最低でもパール判決書の具体的にどの部分が「法実証主義」的なのかを指摘するのが筋では無いのか?

Apemanさんについては、下記記事で触れている通りである。

http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20120212/1329042782

以前にも書いた事であるが、この辺りが非常にもどかしい。私が無知である事は否定しないしそれを詰るのは一切構いはしないから、パール判決書の具体的にどこが誤りなのかを指摘するか、もしくはパール判事に拠らずに、東京裁判を裁判として肯定し得る法的根拠なりがあるのであれば、具体的にそれを用いて東京裁判を肯定して見せれば済む話では無いか。それに対し、私がパール判決書を用いて反論する事で議論が成立するはずだ。それもせずに、「パル真理教の信者」などと低俗な揶揄を繰り返したり、「勉強不足」の一言で片付けたりされたのでは、議論すら出来ない・・・。