「体罰」には覚悟が必要

「【大阪・体罰自殺】 保護者 「僕らの頃は、もっと厳しかった。親の責任だと思う。先生は頑張って。応援します」→保護者ら、拍手」
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1745946.html

この事件で、体罰を与えた教師を擁護する気は一片も無い。そもそもがスポーツの指導で注意するにせよ、手が出るというのは行き過ぎだろう。しかも報道によれば、30〜40発もの暴力を加えたとの事であり、限度を超えている。

ただ体罰の是非については、なかなか難しいと言わざるを得ない。

暴力で子供に分からせるという行為は確かに好ましくは無い。しかし私自身の経験では、「叩きでもしなければ聞き分けない子供」は同級生の中に何人もいたし、私自身、子供の頃に無茶な事をして親や教師から殴られた経験はいくらでもある。
私が中学時代に所属していた部活の顧問は、生活指導を兼任している事もあり非常に厳しい教師だったと記憶している。悪い事をして殴られる事は勿論、返事をしないだけで蹴られたり、少しボーっとしているだけでも怒られたり、正直今思い出しても軽くトラウマになる程だ。しかしその顧問が他校に転勤して以降、大会等での成績が著しく悪化した事も確かで、指導の仕方が完全に間違っていたとも言えない面はある(精神的には楽になったが)。

指導のあり方、特に体罰の有無を是とするか否とするか、判断は難しい。ただ確実に言えるのは、今回のように体罰を理由に生徒が自殺するような事態になった場合、体罰を行った教師は無条件にその責任を負うべきであるという事だ。本人に悪意がなかろうが関係は無い。自身の指導が間違っている事を認め、その間違った指導により生徒を死に至らしめた事実を粛々と受け止めるべきだ。

体罰を是とする教師には、体罰によってもたらせたあらゆる事態に対し、無条件で責任を負う覚悟が必要である。その覚悟も無く、何か起きてから「本人の為を思ってやった」などと見苦しく言い訳をするような教師には、体罰を用いて指導する資格など無い。その面でも、「体罰は必要」などと開き直りとも取れるコメントをしたこの教師を擁護する気には全くなれない。