rekihikoさんへの返信


「改めて整理する、パール判事の意見書の価値。」
http://rekihiko222.hatenablog.com/entry/2013/04/09/121439

id:rekihiko222さんから頂いたトラックバック記事への返信である。

久しぶりのパール判事論である(Apemanさんと激論を交わしたのが懐かしい)。上手く書ければ良いが、、、

>前もって準備された、あらゆる事態を想定した法も、新しい事態に直面して、新しい解釈を余儀なくされる。そのためどんな法律も、厳密には事後法なのだ。これを「法創造行為」とするのが、シュミットの考えである。
厳密には「法創造行為」と「法の遡及」で分けて考えるべきであると思う。問題となっているのは、法を創る行為というより、その新しく創った法で過去の出来事を裁く事の是非であると考える。

>具体的な例で見てみよう。男が少女を連れ去り9年近く監禁し続けた、という驚くべき事件が起きた。その当時、誘拐・監禁の罪は最高で禁固10年である。たった10年では、9年も監禁した罪につりあわない・・・。そう考えた裁判所は、男が下着売り場の下着を数枚盗んだ罪を取り上げ、「窃盗」の最高刑禁固5年を課すことによって、できる限り量刑を重くしようとした。通常の法解釈で言えば、下着数枚の盗みで5年の刑はありえない。だからこれは、現行の法律の条文において、最大限の「法創造行為」である。そして当時朝日新聞などメディア、世論もこの判決に納得した。
確かに現行法で対処出来ない事態に陥った場合に、解釈を変えて対応するという手段はありうるだろう(被告の更生を促す意味でも有効なのかも知れない)。パール判事がこれを是とするかどうかはひとまず置いておくとして、では東京裁判で上記のような手法が有効なのかどうかという事について、下記の文章を引用する。

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犯罪に刑罰を科すべき理由としては、改善刑罰論(犯罪者を矯正するため)、威嚇刑罰論(同様の犯罪を再び起こさせないため)、応報刑罰論(私的復讐よりも公平に行われることを保証する)、ならびに予防刑罰論が言われてきた。
しかし(東京裁判のように)敗戦者だけが裁かれるのでは、敗れさえしなければ侵略戦争もできるということで、制止的効果も予防的効果も期待できない。
また、戦勝者が後で勝手に決める規範によって処罰されるという恐怖から、規範意識が矯正されるなどということはありえない。
応報目的で刑事責任を導入することもできない。応報とは倫理的見地からもたらされる報いのことである。そのためには当然、犯人の道義的責任を決定しなければならないが、そんな仕事は「どんな司法裁判所でさえも、できることではない」とパールは断言している。(パール真論:251〜252ページ)

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新しい解釈を持ってある犯罪を裁く事を是とする場合でも、その対象が特定の人間(あるいは国)だけでは根本的に意味を成さないという事である。「法創造行為」により日本の行為を裁くのであれば、同じ基準で対戦国の行為も裁かれなければならないのだ。事後法である事も勿論問題であるが、事後法を敗戦国にしか適用していないという点に東京裁判の大きな問題点があると言えるだろう。

なおrekihikoさんはこの記事の中で、法治国家における「事後法の禁止」の重要性について理解を示されている。事後法を積極的に認めている訳では無く、そうならざるを得ない現実があると言う意味合いでの反論であると受け止めている。しかしパール意見書の真価が「事後法を否定した」事にのみある訳では無いという事だけは是非とも知っておいて頂きたい。


PS)
文章として成立しているか、そもそも反論になっているか不安である・・・。