「南京大虐殺論争」は不毛?

この問題を記事をするのには、私は余りにも無学であり無知である。大体この問題を扱うに辺り、私なりに「南京大虐殺」関してその概要(被害者数等)を提示してみせるべきであり、一時それを試みたのであるが、結論としては「不可能」である。被害者数一つ取っても、30万人というのは正直信じられないが、全くゼロだったと言える根拠も無い。それ以前に「虐殺の定義」や、「被害者数」は勿論その内訳に至るまで、この議論は余りにも不明確な点が多すぎる。このエントリーで語りたいのは、「南京大虐殺」論争ではなく、それ自体の不毛さである。

一例を挙げたい。

右派が、「30万人殺したなんて嘘だ」と主張すると、左派は「30万人説を否定する事が、事件の有無を否定する事にはならない」と切り返す事が多い。

確かに30万人を殺していない=南京大虐殺の否定では無いとする意見は一理あると思うのだが、では「南京大虐殺は事実である」と言うだけで済む訳では無いだろう。その事実である「南京大虐殺」はどのようなものであったのか?すなわち「誰がいつどこで誰を何人(一桁まで正確に提示せよとは言わない)どのように(可能であれば「何故」も)殺した」のかという概要を提示して然るべきでは無いのか?それがはっきりしないから、この議論がいつまで経っても収束しないのである。それとも「余りにも当たり前で基本的な事だから、そんなものを提示するにも値しない」という事か?

「30万人説を否定する事で、南京大虐殺そのものを否定したつもりになっている右派」

を非難するのは結構だが、私からしてみると

南京大虐殺は事実であるというだけで済ませている左派」

も同レベルに見えてしまう。


例によってウィキペディアで当該論争についての記事を見た所、以下のような既述があった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E8%99%90%E6%AE%BA%E8%AB%96%E4%BA%89


>心理学者の中山治は、「(虐殺肯定派と否定派が)互いに誹謗中傷、揚げ足の取り合いをし、ドロ試合を繰り広げている。事実をしっかり確認するどころの騒ぎではなくなっているのである。こうなったら残念ながら収拾が付かない。」と論評[69]。

的を射た意見だと思う。


私は以前のエントリーで「ウィキペディアの歴史に関する既述は信頼性が無い」というような事を書いたと思うが、一部訂正したい。

南京大虐殺に限れば、ウィキペディアで十分である」

ウィキペディアを超えたものが、書籍、ネットを含め外部にあるようには正直思えないのだ(あくまで南京大虐殺に限定するが)。