南京大虐殺論争は不毛?(続き)

先日の記事について、inunumaaさんよりトラックバックを頂いた。

http://d.hatena.ne.jp/inunumaa/20111014/1318566264

私が無思慮に「南京大虐殺論争は不毛だ」と発言した事に対しての反論である。
実際inunumaaさんから紹介頂いたサイト、書籍のことごとくに私は触れていない。つまり私が不勉強であった事は言い逃れの出来ない事実である。「イデオロギーに凝り固まった馬鹿な方々」に振り回されていた事も否定できない。

まずは無思慮に「南京大虐殺論争は不毛である」と発言した事について謝罪したい。そして本来であれば無視すべきような稚拙な記事であるにも関わらず、参考になるサイトや書籍をご紹介頂いた事に対して感謝すると共に、それらに目を通す事を約束する(時間が掛かるかも知れないし、書籍はその全てに目を通せるか分からないが)。

・・・ここから先は掲載するか迷ったのだが、敢えて掲載する事にする。

なお上記において、私は不毛であるという発言について謝罪してはいるが、撤回まではしていない。
撤回するには、私がinunumaaさんからご紹介頂いた史料を読んだ上で誤解を解かなければならず、それをしていない内にいい加減な事を言って撤回する訳にはいかないという事もあるのだが、紹介頂いた記事の中で「入門に適している記事」を読んだ時点で既に躓いてしまったのである。お叱りを受ける事は覚悟の上で書きたい。

まず南京大虐殺の定義についてであるが、

・やる夫で学ぶ南京事件より
 「民間人以外の軍人も人数に加える」「南京周辺で行われた虐殺事件も『南京大虐殺』として定義する」等

これらは南京大虐殺が提示された当初(東京裁判?)からの前提だったのだろうか?数の増減はまだしも、定義そのものがコロコロ変わっては話にならないように思える。
1937年に起きたとされる「南京大虐殺」という事件は一つしか無いはずであり、ならばその定義に関しても一つに定めておく必要があるはずだ。ところが当該事件では、事件像そのものがフラフラしているように見受けられるのである。上記例もそうだが、

藤原彰『南京の日本軍』より
 「南京大虐殺の犠牲者数はどれほどであったかをあきらかにすることは、現在となってはきわめて困難だといわなければならない。もともと犠牲者は何人だったかという議論そのものが問題なので、期間と地域をひろくとれば犠牲者数はいくらでもふえるのである」

こんな事を書いている時点で論外であると言わざるを得ない。そんな事を認めたら、左派も右派も好き勝手に基準や定義を自分に都合の良いように変えて議論を堂々巡りにしてしまうのは必然では無いか。これでは決着は永遠に着かないだろう。だから不毛であると言っているのである。

次に虐殺人数について、

・やる夫で学ぶ南京事件より
 「犠牲者数に関し笠原氏は中国の30万人説は幻想だろうという立場であることも言っておこう」

しかし30万人説は実在している。中国共産党はそれを現在においても撤回していない。実際に当局が30万人説を撤回しない以上は決着が着いたとは言えないだろう。つまり、「30万人説にいつまでもしがみつく否定派」と非難する前に、いつまでも根拠の無い30万人説を持ち出して議論を混乱させている肯定論者に対し文句を言ったらどうなのかという事である。「30万人は無いけど20万人はある」なんて軽く受け流している場合なのか。こうなると、右派が「30万人説に限定して南京大虐殺を否定」したとしても、あながち的外れでは無いように思えてくる。もちろんそのような意見を「矮小化だ」「詭弁だ」と批判する意見もあるだろうし、別に私も右派の肩を持つ気など無い。ただ左右で論点がずれているのは確かであり、決着は着きそうに無い。だから不毛だと思っているのである。

まとめたい。

inunumaaさんは、南京大虐殺は国際常識であると言われているが、では何故「国際常識」にまで至っているこの議論が収束していないのだろうか?
大体、当該事件を肯定する論者だけに搾っても、犠牲者数が「数千人〜30万人」等と曖昧な事この上無く、inunumaaさんが紹介して下さった藤原・笹原両氏と泰氏の見解にすらかなりズレがあるように見受けられる。数は重要では無いと言う前に、最低限数の整合性を合わせた上で(ぴったり合わせろとまでは言わない)、「国際常識として認定されている南京大虐殺」がどのようなものなのかという統一見解が欲しい所である。

そもそも右派は、南京大虐殺という事件が、中国共産党反日プロパガンダとして誇張されていると主張しているのである。それを証明する為に、30万人を殺害する事が物理的に困難である事や、証拠として提示された写真が捏造である事等を執拗に暴いていっているのだろう。右派の目的は、「中国の反日プロパガンダ」である事を証明する事のみに限定しても良いような気がする。勿論これを問題の矮小化と批判するのは自由であるし、確かに問題の根本解決にはなっていないと言えばその通りだろう。

それに対し左派は、程度の差はあれ南京大虐殺があったのだと主張している。目的はあくまでも、「南京大虐殺の存在の証明」であり、極端な話被害者数が数百人規模だろうが数千人規模であろうが一つでも虐殺の事実を証明出来ればその目的は達成可能であるという立場のように思われる。

結局の所右派の勝利条件は「中国の反日プロパガンダである事を証明する事」であり、左派の勝利条件は、「程度に関わらず南京大虐殺があった事を証明する事」である。噛み合っていない。どちらも勝利宣言を出せる位には研究が進んでいるように見受けられるのに、未だに議論が続いているのはこのズレがあるからでは無いのか?だから不毛であると思うのである。

勿論私はinunumaaさんから紹介頂いた記事をまだ全て読んでいる訳では無い。それらを熟読した後に認識が変わったのであればこの日記で書くつもりである。


・・・そんなに意識しているつもりは無いのだが、やはり「南京大虐殺を認めたくない」という願望が私の中にあるからこのような細かい事が気になってしまうのだろうか?脱ネット右翼への道はまだまだ遠いようである。