「君が代問題」に世界の常識など関係ない

私は「君が代を歌わない教師」には遭遇した事が無いが、「君が代を歌わない生徒」には会った事がある。正確には私の学生時代の同級生であるが、彼は入学式や卒業式などで君が代を歌う時、周りが全員起立している中でただ一人座ったままであった。私が聞いたのか他の友達が聞いたのかは覚えていないが、その理由を問うた事がある。彼の答えは、

「俺は天皇を尊敬しない。沖縄戦で現地の県民に対し集団自決をさせたのは国だ。また過去に酷い侵略戦争もしている。君が代はそんな侵略国歌を称える為の歌だ」

というものだった。

彼は全般的という訳では無いにせよ成績は良い方で、特に社会科(地理・歴史・公民等)についてはずば抜けていた。彼の父親が社会科の教師であった事がその理由らしく、彼自身自分の父親を心から尊敬しているのが私の目から見ても良く分かったものである。(当時の)将来の夢は、「社会科の教師になる事」だった。

この際、彼の国に対する嫌悪感情が正しいものであるかどうかについては触れない事とする。重要なのは、彼が勉強熱心であったが故に、いわゆる「サヨク」に近い思想を持つようになったという点である。これに対し普通に起立していた私を始め、他の生徒は皆「ウヨク」だったかと言えばそんな事は無い。彼ほど歴史に興味を持たなかった為、そもそも起立命令に反するような行動を取る動機が無かったのである。我々は何も強い意志を持って君が代を歌っていた訳では無い。彼が強い意志を持って君が代を拒否したという事なのである。何の思想も主張も無かった当時の私は勿論、ネット右翼的な思想を持った現在の私にも遡って彼を責める資格は無い。

彼が現在志望どおり社会科の教師になったのかも知らないし、そもそも学生時代の思想がそのまま大人になった時点まで引き継がれているかどうかすら定かでは無い。ただ間違っても、君が代斉唱を拒否して教育委員会と無益に争い、職を追われるなんて事にはなっていないと願いたい。言うまでも無く私は「君が代を拒否する行為」を支持もしないし、そんな事で何かをなし得た気分に浸っている教員の幼稚さにも怒りを覚えてはいるが、流石にそれを理由に職を失ったり、定職処分になるのは行き過ぎた処分では無いかと考える(ただし君が代を歌った事で体調を崩すなどとという極端な例は除く事にする。ここまで来ると子供に悪影響を及ぼす気がするし)。その教員に家族がいるのなら尚更である。

しかしこの問題、どこかに良い落とし所は無いものか・・・


とあるブログでは、ネット右翼が「国旗・国歌を敬う事は世界の常識だ」と主張し、それに対しブログ主が「むしろ世界の非常識である」と反論している。

私の意見を表明するならば、「国旗・国歌の扱い」について、世界の常識とやらを参考にする必要は無いと考える。

何故なら「君が代」を否定する人間の思想信条というのは、ほぼ間違いなく過去の「日本の侵略戦争」に対する忌避感(※1)に通じている。「君が代問題」、公の場で国旗を掲揚したり国歌を歌うという行為が一般的であるか否かが争われている訳では無い。要するに「国歌」が「君が代」である事が気に入らないという事であると思われる。他の国の国民が自国の国旗や国歌にどのような思いを持っているのかは知らないが、仮に他国のそれがネガティブなものであったとしても、日本国民が「君が代」に抱く感情とは全く別のものである。「日本の侵略戦争」に結びついている(と言われる)国歌とは、「君が代」だけだからである。「君が代問題」は、当然ながら日本固有の問題であり、世界でどうなっているからと言って、歌う事を肯定する材料にもならなければ、拒否する論拠にもなりはしないのだ(※2)。

 ※1 日野「君が代」伴奏拒否訴訟において伴奏を拒否した教師の思想信条は「『君が代』が過去の日本のアジア侵略と結び付いており、これを公然と歌ったり、伴奏することはできない。」というものであった。
 ※2 勿論見方によっては現状の日本の問題と「世界の非常識」と断ずる事は可能だろう。何せ学校の教師が国歌(君が代)を歌う歌わないなんてことで度々訴訟沙汰になっている国は、現在日本以外で聞いた事が無いからだ


1/31 追記)
トラックバックを拒絶された為、リンクを削除及び文体を変更させて頂いた。Fさん、失礼致しました。