成果主義の問題点(負け惜しみ)


ようやく休みだ・・・。忙しくて記事を書く暇が中々ない。昨日徹夜(会社から出る時には既に日が変わっていたが)だったので身体がだるい・・・。

「横浜行」
http://d.hatena.ne.jp/st43/20120303/1330702232

st43さんは現在就職活動中との事だ。「第2の就職氷河期」などと呼ばれる時期という事もあり、本当に大変だと思う。求人そのものが少ない事もあるが、こういう時期は、採用者の目も厳しい(私自身、何度「今回はご縁が無かったという事で」の決まり文句を聞いた事か・・・)。ただ応援する位しか出来る事が無いが、st43さんの能力を活かせる職場にめぐり合える事をお祈りする次第である。

http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20120304/1330870698

上記記事が好評だった。st43さん、id:Wallersteinさんをはじめ、多数の方々にブックマークを頂けたのは喜ばしい限りである。

注目を受けたのは、成果主義に触れた部分のようである。そこでこの記事では、もう少し成果主義について掘り下げて書いてみたいと思う。

成果主義を批判するのは簡単だ。小難しい事を考えるまでもなく、会社が人件費を削減するための方便として利用していると言えば事足りるからだ。しかし会社の目的がそのようなものだったとしても、多くの市場が成熟した今日の日本で、昔ながらの右肩上がりの昇給など認めていては会社の体力が持たないという言い分は確かに有効で、「会社の存続」という視点から、それを完全に否定するのは少々酷な話だとも思う。

これまでの経験を下に、成果主義の問題点として個人的に考えている点を挙げたいと思う(ウィキペディアの内容と大して変わらないかも知れないが)。

・仕事に対しての長期的な視点の欠如
成果主義は、その運用の難しさが問題点として挙げられる。経理、総務と言ったいわゆる販売ノルマの概念の無い職場(俗に言う間接部門)の場合、何を持って「成果」と評価するのかという点からいきなり行き詰る。では販売ノルマのある営業マンであれば、何の問題もなく運用できるのかと言えば、個人的にはそうでも無いように思えるのである。

まず、営業マンの目的は大きく二つだと考えている

・商品を売って対価を得ることで会社に利益をもたらす
顧客満足度を向上させる事で、顧客との継続的な取引関係を維持する

営業マンはただものを売れば良いのではなく、顧客のニーズを正確に読み取り、顧客が満足する商品を紹介・提案する。その立場は(顧客からすれば)一種の購買代理人のような存在であり、コンサルタントに近いとも言える。

利益と顧客満足度はほぼ逆の関係であると言ってもよい()。例えば原価100円の商品を200円で売るか150円で売るかを考えた場合、200円で売れば100円の利益が得られる。150円で売ると50円の利益しかないが、顧客からすれば得をするため、顧客満足度は(一般的には)上がる。短期的に利益を上げるなら前者、長期的に顧客との関係(継続的に利益を得る事)を続けたいなら後者になる。「顧客満足度」とか言う言葉を持ち出すと、何だか奇麗事のように聞こえるかも知れないが、これは会社にとって極めて重要な概念である。会社は、「利益を出す」という事よりも、「継続的に利益を出し続ける」事を重要視するのが普通だからである。

利益と顧客満足度、どちらを重要視するかという観点において、成果主義は正確な判断を阻害する恐れがあるのだ。何故なら成果主義での評価で一番影響力を持つのは数字である。その営業マンがいくら売り上げたかが重要な意味を持つ。顧客満足度は仮にそれが高かったとしても、すぐに利益に結びつくかどうかが不透明な上、そもそもそんな曖昧なものを数字で表すのは難しい(P/L(損益計算書)で「売上」として計上される事も無ければ、バランスシート(貸借対照表)で「資産」として表現される訳でもない)。成果主義の概念にはそぐわない「成果」なのである。営業マンが自身の評価を上げようと思ったら、顧客満足度そっちのけで売り上げだけ上げればよいと考えるのは必然であるといえる。短期的な視野では売上増が期待出来るだろう。しかし長期的にプラスになるかは不透明である。

結局の所、成果主義下に置かれた社員は、目標を達成する事だけに没頭する余り、長期的な視野で重要になる仕事(この事例では「顧客満足度の向上」)を軽視してしまう傾向になるのでは無いかと危惧するのだ。


セーフティネットが無い
成果主義下においては、勤続年数や年齢は基本的に給与に反映されない(世代間格差は以前より広がっている感があるが、これは成果主義が正しく働いたというよりは、年功序列の恩恵が中途半端に残っている事が主因だと思われる)。

新入社員が会社に入って、「成果」を出せなかった(とみなされた)場合、最悪給料は定年までそのままである(そこまで行く前に転職を考えるだろうが)。言うまでも無いが、新入社員の初任給は高いとはお世辞にも言えず、個人差はあるにせよ、年齢を重ねる度に必要となる生活費は増える傾向にある(結婚はその最たるものだろう)。給料が入社当時から全く上がらないと仮定すると、いずれ生活が破綻する可能性が高くなるのである。給料が人と比べ低いとかそんなのは二の次だが、生活できないというのは文字通り死活問題である。しかし成果主義はそのような社員個人の都合などを考慮しない。ある一定の年齢に達すれば、(そのような施設があるのなら)社員寮から追い出されて、自分で家を借りなければならなくなる。親が高齢者になってその面倒を見ることになる。結婚して扶養家族が出来て負担が大きくなる。それでも「成果」を出さない限り、一切給料は上がらないのだ。

成果主義からそれた話題にはなるが、現在大阪市は橋下市長の指揮の元、公務員の大掛かりな待遇見直しが行われる模様である。個人的な意見として、別段橋下改革を批判する理由は無いのだが、やり過ぎて職員の生活が立ち行かなくなるような事態を招く事が無いように、最低限配慮はして欲しいと願う限りである。そりゃ税金を払っている大阪市民からすれば無駄がなくなるのは喜ばしい事かも知れないが、流石に市職員が生活苦を理由に首を吊ったりするまでの事は望んでいないはずだ(そうだと信じたい)。

成果主義下においては、勝ち組と負け組での給料の差が大きくなるのは当然である。しかし負け組だからと言って、必要最低限の生活も出来ないような給料では困るのである。成果主義の精神に反するかも知れないが、負け組でも最低限の生活が送れるようなセーフティネットは欲しいところである。


ただ、結局私自身が「成果主義」制度下における負け組な訳で、そんな私がもっともらしい事を言って否定して見せても「負け惜しみ」としか思われないかも知れない。いずれにせよ、今更止めろなんて訴えても会社が思いとどまるはずもない。「成果主義」は確かに問題視されているが、それでも導入する会社がそんなに減っている訳でも無い。結局の所、従業員が好む好まざるに関わらず、「現実」として受け止めるしかないのが現状である。成果主義を否定するのではなく、成果主義下でどうやって昇給していくかを考えていかなければならないのだ(勿論私はその具体的な手段が思いつかないから給料が低いままなのだが)。

・・・結局ただの負け惜しみになってしまったか。