「生きにくい日本」で生きていくには(半分以上愚痴)

唐突な出だしだが、私は貧乏サラリーマンである。

恐らくそんなに浪費癖が強い訳では無いとは思うのだが、とにかく金が無い。給料は多いとは到底言えず、その割に厚生年金やら住民税やらはごっそりと引かれる為、手取りベースで言えば、多分バイトで稼いでいる大学生とそんなに変わらない水準だろう。その上で実家に対し毎月生活費を仕送りしている為、貯金する余裕なんてありもしない。比較的残業が多い為、その残業代で何とか月の生活費を赤字にしないで済んでいるという状況である。

入社時に「独身貴族」という言葉を耳にした事がある。独身ならば、家庭を持つ同僚と比べても、自由に使える金が多い訳で、「貴族」のような生活を送る事が出来るという、見方によっては結婚できない男の負け惜しみと言われそうな「称号」である。ただ入社したての社員は、独身であろうが貴族などでは決してない。元々手元に入る給料自体が少ないからだ。(ある程度)順調に昇進なり昇給を果たした独身の中堅〜ベテラン社員を差す言葉である。

私は入社当時から、自分は「独身貴族」になるだろうなと予感していた。容姿、性格、金回りなど全ての面において、私ほど女性から見向きもされない男はそうそういないと自負している(勿論私に結婚願望が全く言って良い程無いというのも要因の一つとして考えられるだろう)。30代になった現在においても独身である私を見る限り、予感は的中した。しかし独身のまま年を重ねて中堅社員になったのだから、私は「独身貴族」なのでは無いか?と思い直してみても、全くそんな事は無いのである。どこの世界に、夕飯を100円のパックの御飯にふりかけをかけて食べて過ごしている「貴族」がいるというのか。
まあ扶養家族はいないが実家に母がおり(別居)、それを養わなければならないという事情はある。だがそれ以上に誤算だったのは、この10年、思うように給料が上がらなかったという事である。私が入社したての頃、周りの先輩は勤続10年を数える人が多かった。ずばり言えば、入社後10年の私の給与水準が、当時の先輩方の給与水準に遠く及んでいないのだ。入った当時はまだ年功序列の概念が残っていた為、何歳なら給料がいくらになるとかいった計算はしやすかったのだが、私が入社してからすぐに成果主義(※)の名の下に年齢給が撤廃された。「成果」の出せない私は全くと言って良いほど給料が上がらなかったのだ。

※恐らく「成果主義」と聞くと、実力のある若手が無能な年配社員を押しのけてどんどん上に上がるいわゆる「下克上」のような事が起こるから良い事なのでは無いかと思われるかも知れない。会社が成果主義を導入すると宣言した際、ひそかに期待を持った若手社員も実際にいたはずだ。だが現実はそんなに甘くは無い。確かに私の同期社員の中に一人、入社してから一年足らずで大口顧客の商談で受注を獲得し大成功を収め、20代の若さで管理職に上りつめた者がいるが、彼のような成功例はほんの一握りである。ほとんどは、私のように結局年功序列の時の方がまだ給料は上がっていたというような者ばかりである。では中堅社員はどうかといえば、年功序列によって上がった給料はそのままなので、成果主義で上がらなくなったとしても、最初から低いままで推移している我々とは事情が違うのだ。成果主義は無能な年配社員(実際そんな絵に書いたような社員は周りにそういないのだが)にとって不利な制度と思われがちであるが、突き詰めて考えると、その実一番割りを食うのは若手社員では無いかと言うのが私の見方である。

ある日、会社の勤続年数別の社員構成表を目にする機会があったのだが、それを見て驚いた。私のような10年勤続社員数を100人とすると、20年勤続社員数がその2、5倍程の250人はいたのである。まず前提として、寿退職、転職など理由は様々であるが、一般的に勤続年数を重ねる毎に同期社員の数は減っていくという事である。その為、10年勤続する社員よりも、20年勤続する社員は基本的に少ない数になるのだ(中には40年間勤め上げて会社から表彰される社員もいるが、10人もいない)。しかし勤続10年の社員よりも、20年の社員数の方が圧倒的に多いという事実は、上記のような一般論を踏まえた上であれば、かなり特殊なケースであるといえる。これは要するに、入社時点での採用人数が全く違っていた事を示している。私よりも10年先輩であるという事は、ずばり「バブル世代」である事を指す。改めて、バブル景気の凄まじさを実感したものである(もっとも、私はいわゆる「氷河期世代」な訳で、極端な勝ち組と極端な負け組の比較であるというだけで、バブル世代が特別に恵まれていたという言い方は不適切かも知れない)。

上記で挙げた例というのは、暗に世代間格差を批判する意図があるように思われるかも知れない(不満が無いと言えば嘘になる)が、だからと言って腐った所で状況は何も変わらないという事も重々承知している。世代間格差がある事は事実だろう。だがそれは誰が悪い訳でも無い。強いて言うなら、悪いのはそんな時代に生まれた私の運である。不満はいくらでも口にして良いだろうが、それとは別に、生きていく以上やるべき事はきちんとやらなければならないのである。


なお、リーマンショック以降に就職する現在の若者も、第2の「就職氷河期」に苦しんでいると思われる。就職失敗を理由に命を絶つ若者が多いといういたたまれないニュースも耳にする。

「急増する20代の就職失敗自殺・生活苦自殺・失業自殺 - 若者の死因トップが自殺なのは先進国で日本だけ」
http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-1984.html

彼らが抱える問題を解決する術も持たない私ごときが、偉そうに「命を粗末にするな」などと説いて通じるはずが無いが、それでも私は彼らに生きて欲しいと強く願う。私も生活していく上で「生きていくのが辛い」と思った事なんて腐る程ある。その度に、毎週欠かさず200円出して買っている宝くじが当たっていた時の事を考えて思いとどまるのである(死んだら当たってても換金できないじゃないか的な意味で)。ある意味この宝くじの購入は、私の自殺防止策になっているという事になる(いや実際そんなつもりで買い続けている訳では勿論無いが)。陳腐だと思われるだろうが、とにかく「その時に生きておかないと損をする」と思えるような何かを用意しておく事だと思う。ある意味では自分自身を騙し続けながら生きるという意味合いになるかも知れないが、口実だろうが欺瞞だろうがなんだろうが、それでも生きる根拠にはなっていれば何でも良いのだ。