嫌うのも憎むのも自由

どうでも良い話だが、この記事でちょうど日記を書いて100日目になるらしい。3月の最終日というキリの良いタイミングという事もあって、妙に嬉しく感じている。

【きみがよ丸】国歌斉唱時の不起立を貫く教師たちの理由「君が代軍国主義の象徴だ」「忌まわしき戦争を思い出す」
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4156390.html

「忌まわしき戦争」とやらを思い出す年齢なのかという疑問もさる事ながら、結局のところ不起立教員の事情がこの程度であるという事を良く示している。ネット右翼である私ならば、「お前個人の好き嫌いなど知るか」の一言で片付けても良いのだろうが、少なくともこのブログでは「ネット右翼」を理由にして思考を放棄するような事はしたくない。そう思い、私なりに考えた上でこの問題の落とし所を書いたつもりであったが、やっぱりしっくり来ない。

「「君が代問題」をどう収束させるか?」
http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20120325/1332690609

上記まとめ記事で叩いているコメンターもそうだろうが、教員の思想信条にまで踏み込んで批判出来る人間はそういない。私もそうだが、不起立行為そのものは責める事が出来ても、その理由である歴史認識を間違いだと指摘するには、余りにも教養が足りていない。サヨクというのは非常に勉強熱心だ。少なくとも彼らが「南京事件」など日本軍が犯したされる重大な戦争犯罪(だけ)を(異常なまでに)執拗に追及するのは、結局の所自身の「日本絶対悪史観」を補強したいが為なのだろう。個別の戦争犯罪の事実を元に「戦前の日本を悪」と断定するのは正直安直な気もするが、「日本軍は「南京事件」を起こした。だから日本軍は悪だ」と総括しても一応筋は通るのだ。「日本が悪い」と思いたい側にとってはその材料にさぞ事欠かない事だろう。はっきり言って彼らのサヨクイデオロギーを根本から否定するには、「戦前の日本が清廉潔白である」という根拠を突きつけてやる位は必要だ。しかしそのような論拠を示すのは不可能に近いのである(例えば南京事件について、個別の証言の一つや二つの嘘を暴いた所で、南京事件そのものの事実を揺るがす根拠にはならない)。

ネット右翼では左派に太刀打ちできない」
http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20120128/1327736249

当ブログで何度も取り上げたパール判事は、れっきとした平和主義者であり反戦主義者であった。その思想は一見現在のサヨクと似ている部分があるかも知れない。しかしパール判事と現在のサヨク(日本)で決定的に違うのは、サヨクが戦前の日本を全否定しているのに対し、パール判事はそれを(ほぼ全面的に)肯定しているという点である。パール判決書は、東京裁判の多数判決に対する反対意見書であるが、それ以上に幕末から第二次世界大戦までの日本の動向を正当化し得る書なのである。しかもそれが右翼でも何でもないパール判事の意見であるという事実は重要だろう。主観だが、恐らく戦前の日本を最も客観的に評価したのは、パール判事では無いかと考えている。勿論パール判事も「日本が精錬潔白である」等とは言っていない。それと同時に現在のサヨクで横行しているような「戦争=悪」なんて子供でも言えるような価値観を元に「日本は戦争をしたから悪」などと断罪している訳でもない。当時の国際法上、日本の戦争行為が犯罪と呼べるかどうかを客観的に判断した結果が「パール判決書」なのである。

そう考えると、安易に「平和主義者」という共通点だけを持って、いつまでも「南京事件」や「従軍慰安婦問題」をネチネチ取り上げて日本叩きをしているサヨクと、パール判事を同列で見ようとするのは、パール判事に対して余りに失礼であると言える。「パール判事は右派」といったような安直な意見が飛び交って、パール判事の業績を過小評価して欲しくないという思いで、敢えてサヨクとの共通点を挙げたつもりだったが、今後はこの見方は控えた方が良さそうである。

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「戦争は悪」「戦前の日本は悪」という固定観念によって脳神経のシナプスにそれ以上の情報が伝達しなくなっている「薄らサヨク」に、二つの世界大戦の時代を生きた平和主義者の思考がたどれるはずがない」(パール真論:162ページ)

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結論として、「日本を悪」だと考え、日本を象徴する国旗や国歌を忌避する教員の思想信条は否定しようが無い。個別の戦争犯罪を掘り下げていく上で、日本が悪いと思う要素は確かにあるし、そのような見方は自由だからだ。しかしパール判事を尊敬する私には、そのような単純極まりない思想に何の魅力も感じない。ある意味韓国の反日感情と同じだ。嫌いたければ存分に嫌い、憎みたければ存分に憎めば良い。それを止める術などネット右翼には無い。