愛国心と国歌斉唱の関係


今日の西日本は大荒れの天気だった。ガラスを破るのでないかと思う程の強い雨が降ったかと思えば、その次は強風である。風音が物凄い。ニュースによれば、台風並みの暴風雨との事で、けが人も出たそうである。実家の母は大丈夫だろうか・・・。


「日本人から愛国心をはぐ集団」
http://love.ap.teacup.com/hide-tako/

最近の卒業式では、『仰げば尊し』を歌わなくなっているらしい。私の年代では卒業式で定番の唄だったはずであるが、やはり時代は変わっているのか・・・?

引用元のブログ主は、ごく簡単に言えば「これはサヨクの陰謀である」と考えておられるようだ。確かにパッと見「君が代問題」と似ているようには見えるが、ただ実際に反対しているのがサヨクで、かつサヨク思想であるが故に反対しているかどうかは特定できない。君が代斉唱に反発している教員は、「君が代侵略戦争に利用されたから」「過去の侵略戦争を思い出すから」という理由で拒んでいるようである(勿論賛同出来ないが)。しかし「仰げば尊し」にはそのような意味合いは無いはずだ。サヨクがわざわざでしゃばって卒業式から排する理由など特に無いのでは無いだろうか?

>幼子達に、自分の国を悪く思えと教育するキチガイ集団

ブログ主によれば、サヨクというのはこういう「集団」らしい。少なくともサヨクの中に「自分の国を悪く思っている」人間が多いのは事実だろう。しかしそのような思想信条を子供達に押し付けているのか否かを、卒業式で歌う唄を何にするか程度で判断するのは困難だろう。「君が代問題」にしても、そりゃ不起立している教員はほぼ間違いなくサヨクだろうが、裁判等で争っているのはあくまでも「その教員個人に斉唱する義務があるか否か」であり、君が代斉唱そのものを排せよ等と主張している訳でも無い。「自分の国を悪く思うように子供達を煽動する」などと言う恐ろしい目的がサヨク側にあるとして、その目的達成の為の手段として君が代に反対していると推測するのは無理がある。

ふと思ったのだが、肯定する側にせよ否定する側にせよ「国歌斉唱」を大げさに捉えすぎているのでは無いか?ごく簡潔に主張をまとめると、右派は「愛国心を高めるから良い」と言い、逆に左派は「愛国心を高めるから悪い」と言っているようであるが、国歌斉唱という行為そのものに愛国心を高める要素などある訳が無い。愛国心がどのようにして身に付くのかは分からないが、少なくともそれは自分の意思で身に付けるべきものである(書籍等の外部要因に影響されたとしても、最終的には自身で判断する事だ)。愛国心と国歌斉唱が無関係とまでは言わないが、「国歌斉唱」は自身の愛国心を高める為に行うのではなく、愛国心を持つ者が国家に対し敬意を表する為に行うというのが本来の目的だろう(その意味では、「愛国心を持たない者が国歌斉唱する」という状況は、むしろ右派にとって好ましく無いような気もするのだが)。

子供への教育という観点で、左派は「国歌斉唱の強要は子供に対して特定の思想(この場合愛国心)を押し付ける恐れがある」と危惧しているようだが、少なくとも国歌斉唱(の強制行為)が子供の思想を左右するような事など無い。思想の定まっていない子供達にとって、「国歌斉唱」は「(校歌斉唱と同じ)儀礼的行為」でありそれ以上のものでは無いのだ。むしろ国歌を歌うとか歌わないなどという事で大の大人が喧嘩して裁判沙汰にまでなっている今の状況の方が、余程子供達に悪影響では無いかと思うのだが。