本当に「君が代」が問題なのか?

rawan60さんとの議論が続いている。

http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20120410/1334065426

コメント欄で、私は以下のような質問をさせて頂いた。

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 ・国歌を「君が代」と決める事や、国歌斉唱を「強制」する事に政治的でかつ思想的な意思が働いたとする根拠は何か?
 ・斉唱を押し付けている側が、国歌斉唱を「公務員のルールの問題」にすり替えてまでそれを推進している理由は何か(要するに、国歌斉唱の強制によって、どのような政治目標を達しようと画策しているのか)?
 ・そもそも「君が代」が日本の国歌であってはならない理由とは何か?(悪逆非道の数々を尽くしたと言われる)大日本帝国の国歌だから?「君が代」の歌詞の中に「軍国主義」を象徴するような要素があるから?

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それに対し、ご紹介頂いたのが、下記サイトである。

http://www.ne.jp/asahi/box/kuro/report/hinomaru.htm

時間が無く隅々まで読めている訳では無いが、少々気になった点を挙げる事にする。

まず、日の丸と君が代がそれぞれ国旗・国歌として成立するまでの歴史的経緯をまとめている箇所があり、この辺りは参考になった。正直筆者の主観が入りすぎている点は否めないが、年表など客観的事実と言えるような箇所はきちんと脚色せずに書いてあると思う(しっかりと読めている訳では無いが)。また筆者の思想そのものはともかく、君が代の賛同者の意見について否定意見と同等にまとめており、その姿勢にも少し好感が持てた。

しかし残念ながら、「日の丸」「君が代」そのものについての解釈(国旗・国歌として扱う事が妥当であるか等)には賛同出来ない箇所があるのも事実である。

>現在の日本では、日の丸や君が代を意識することはめったにありません。しかし、半世紀前には、この旗と歌のもとに多くの兵士を戦場へ送り出し、アジアを侵略した歴史を持っています。
まるで「日の丸」や「君が代」に兵士を戦場へ送り出す魔法でもあるかの様な言い分である。では「日の丸」や「君が代」が無ければそもそも日本は戦争をしなかったとでも言うのだろうか?「日の丸」と「君が代」は「侵略戦争」をした大日本帝国の国旗と国歌であると言う以上のものでは無い。

>また、出征兵士の送迎会では日の丸が振られ、君が代が斉唱された。そのため、この時代を経験してきた人たちには、日の丸や君が代に嫌悪感をしめす者が多い。また、日本軍によって侵略され、植民地支配を受けたアジアの国々では、日の丸や君が代は侵略者の象徴として受けとめられており、現在も不快感を持つ人たちが多い。
これは当時の日本の体制を批判する根拠にはなるのだろうが、日の丸・君が代があるから出征を余儀なくされた訳でもなければ、植民地支配を受けた訳でも無い。上記の関連付けは、少々無理があると言わざるを得ないのである。逆に言えば、君が代が別の国歌になった位で、その「アジアの国々」(どこの国だか)が日本に対し抱いている不快感を改めるとは考えにくい。

これは厳密には筆者の言葉では無いが、

>●確かに、日の丸や君が代が好きな人は大勢いる。しかし、そのことと学校のような場での強制とは話が違う。日本では、日の丸や君が代について、過去の歴史から抵抗を感じている人も大勢いる。にもかかわらず、一方的に日の丸や君が代を強制するのは「思想の自由」に反している。
まず「日の丸や君が代が好きだから」とか「嫌いだから」なんて発想に違和感が残る。前に書いた事であるが、君が代を歌う場において、それが好きだからとか嫌いだからとかは一切関係が無い。好きだからと言ってJ-POPのように所構わず歌うというのは趣旨が違うだろう。

君が代が嫌なら無い所に行け」
http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20120108/1325993316

この筆者は、君が代問題について国民的議論を踏まえて考えるべきであると考えているようだ。私個人としては言うまでも無く君が代が国歌である事に異存は無いが、国民の大多数が君が代を嫌悪していて、それが国歌として相応しくないと認識しているのであれば、国民主権の原則において君が代は国歌たりえないという事を認めざるを得ない。とは言え、君が代を嫌悪している教員が、大多数の国民の支持を受けているようには見えないというのも正直な所だが。

これも筆者の言葉では無いが、

>●愛国心というのは、国民一人一人が心の中にそっと持っていればいいものだ。自分が愛国者であることを声高にとなえたり、他人に愛国心を強制したりするべきものではない。まわりから、愛国者であることを強制される社会というのは恐ろしい社会だ。

基本的に賛同出来る意見である。下記記事で書いているが、私は国歌斉唱を「愛国者であることを強制させるもの」と捉えてはいないというだけで、公務員だから愛国者でなければならないとかそこまで極端な主張はしない。君が代を歌うから愛国者になるのではない。愛国者だからこそ君が代を歌うのだ。

愛国心と国歌斉唱の関係」
http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20120403/1333449639

残念ながら、私が知りたかった答えはこのサイトの中には見つからなかった。そもそも私が上記のような質問をしたのは、要するに君が代を国歌とし、それを公の場で斉唱する事を義務化する行為が一体どのような危険をはらんでいるのかが知りたかったからである。上記サイトでは、「(侵略行為をした)大日本帝国の国歌だった」と言う事実関係しか分からず、その場合警戒すべきなのは、君が代では無く大日本帝国だろう。はっきり言って、君が代を侵略行為と直接紐付けるような事実は存在していない。

>いえ、だから「必要最低限の社会ルール」という問題の「すり替え」で大衆にアピールするために「法制化」を進めたわけです。そんな「職務」一辺倒で思想・信条や社会運動を語るのは無意味です。「善・悪」や「是・非」、「価値観」などによる評価や言動が「社会のルール」に存在するのはあたりまえです。「ルール」そのものは「絶対価値」でも何でもありません。体制側の決めた「ルール」でしかものを考えないのなら、「スト」や「デモ」はおろか、日本における「明治維新」さえ認められなくなりますよ(これに関連する話は以前にも(黒人解放運動など)しているはずです)。
rawan60さんが例として挙げられた「明治維新」は、欧米列強という脅威がその動機となり得るが、「君が代不起立行為」が何を脅威としているのかは今いち不明瞭である。同調者でない立場としては、「そもそも彼らが何と闘っているのか」すら分からないのである。


私は不起立の立場をとる教員に今一度冷静に考えてみて欲しいと思う。貴方達が忌避または問題視している思想に、本当に「君が代」が関係しているのか?

やばい。早く寝ないと・・・。