日中戦争は「侵略戦争」か?

「「日本絶対悪史観」とパール判事の歴史認識
http://d.hatena.ne.jp/rekihiko3/20120408/1333840939

rekihiko3さんより頂いたトラックバックに対しての返信である。

以前も書いたが、この記事においてrekihiko3さんから批判されている部分は、かなり的を射ていると言わざるを得ない。

そもそもの私の元記事が、印象批判の域を出ていないばかりか、それこそネット右翼と何ら変わりもしない安直な左翼批判でしかなく、何をどう言い作ろうが無意味である。(言い訳になるが)少し特殊な精神状態の中書いた記事であり、冷静さを欠いていた。反省したい。

なお、rekihiko3さんとはパール判事について何度か議論させて頂いた事があるが、やはりパール判事観については少々誤解している面があるように見受けられる。

>さて、パール判事は平和主義者だったらしいが、日本が中国に保有していた特殊権益について、「これを維持するために戦争をするのは認められる」と考え、日本の戦争を肯定していたようだ。
私が必要以上に「パール判事が平和主義者」であると主張した事に問題があったようである。パール判事は平和主義者であるが、東京裁判での反対意見書に書かれているのはあくまでも裁判官としての法に基づいた判断である。パール判決書には、平和主義の思想などは一切反映されていないのである。この「平和主義者のパール判事が書いた判決書」という見方こそが、中島岳志氏のようなパール判事観を生み出しているのかも知れない。この点は注意する必要がある。

>しかし平和主義者である私から言わせてもらえば、当時日本が中国に、国土を焼け野原にしてでも守るべき権益を持っていたなどとは、全く思わない。当時でも石橋湛山のようにそのことを的確に批判していたリアリスト、エコノミストはいた。日本は明らかに、本来必要ない権益を中国と争って泥沼の日中戦争に突入し、続けて米英と争って太平洋戦争に突入した。この中国問題に踊らされた破滅へのロンドは、たとえば松本健一『日本の失敗』などが的確に総括している。
日中戦争に至るまでの経緯を語る上で、日本政府の選択がベストだったとは確かに言えない。どんな理由はがあれ、満州事変は完全に関東軍の暴走である。それを抑制出来なかった当時の日本政府にももちろん大きな責任がある事も否定出来ない。五・一五事件二・二六事件などのクーデターなどにより軍部は暴走の一途を辿り、結局抑えの効かない軍部に引きづられる形で泥沼の日中戦争に突入してしまったのである。ただ注意が必要なのは、これはあくまでも日本政府の「失政」であり、国際裁判で罪に問われる性質のものでは無い(正確には、罪に問う法的根拠が無い)。パール判事が言っているのはそういう事である。「日本の戦争を肯定した」という解釈は適切では無い。パール判事が日本の戦争をどのように感じ取っていたのかは少なくとも判決書からは読み取れないのである。

>そういう私からすると、パール判事の歴史認識は当時中国問題に踊らされた日本首脳部の思考をなぞっているだけであり、魅力を感じないものだ。
パール判事を評価する際気を付けなければならないのは、パール判事個人としての歴史認識は一切判決書に反映されていないという事である。それが結果的に日本の戦争を肯定する意味合いを持つものだったとしても、実際にパール判事がそのように感じていたのかなどは一切判断出来ないのだ。

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「次の事実を重ねて強調したい。すなわち、本官の現在の目的にとっては、ある国のある特定の政策の是非をきめることは、本官にとって必要でないということである。」(パール判決書(上):851ページ)
「日本の中国における諸行為が、はたして正当となしうるものであったかどうかを検討することは、本官にとって全然必要ではないのである」(同:858ページ)

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日中戦争を「(日本による)侵略戦争だ」と言う識者は多い。
しかし日中戦争を「侵略戦争」であると定義するには、それが日本政府の侵略的意図に基づく政策である事を証明しなければならない。しかし当時の日本政府の状況をA級戦犯の一人である賀屋興宣元大蔵大臣が端的に言い表している。

「なにせ、アンタ、ナチと一緒に、挙国一致、超党派的に侵略計画をたてたというんだろう。そんなことはない。軍部は突っ走るといい、政治家は困るといい、北だ、南だ、と国内はガタガタで、おかげでろくに計画も出来ずに戦争になってしまった。それを共同謀議などとは、お恥ずかしいくらいのものだ」(東京裁判の起訴状を読んでの感想)

当時の日本政府は迷走していた。反省すべき点は確かにある。だがそれは、他国から明確な侵略戦争であり犯罪行為だと追及されるような性質のものでは無い。パール判事が言っているのはそういう事である。


勿論、「パール判決書は東京裁判を否定するものでしかなく、東京裁判に拠らずとも戦前日本の所業を批判する事は可能なのだから、パール判決書はその程度の代物だ」と受け止める事は可能だろう。それ自体は否定しない(ただ現実には、日本の左派の大半が「東京裁判史観」に影響されているというのが小林よしのり氏の見解であるが)。しかし当時、国家間での紛争に対して中立の立場から適用できる判断基準は、(未完成な)国際法以外には存在しなかった事も事実である。私がパール判事で最も尊敬している点は、当時の政治的情勢や「道義」といった曖昧な価値判断基準、自身の平和主義の思想すら一切排除し、法の真理を徹底して貫いた姿勢そのものである(勿論無理に同意を求めるつもりは無い)。


中々文章が上手くまとまらず、そこそこ長文であるにも関わらず中身の余り無いエントリーになってしまった。申し訳ない・・・。