「正義」や「道徳」で人を裁けるのか?

藤原彩女さんより頂いたトラックバックへの返信である。

カティンの森事件についてのにわか感想文」
http://unaccompaniedrequiem.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-a19c.html

カティンの森事件については、私などは映画で見た程度の事しか知らない為、中々興味深い内容だったと思っている。

記事の後半部分では、恐らくは法実証主義に対しての批判的意見を語っておられるようである。読解力の無い私が正確に読み取れているかは自信が無いが、「法的に無罪だからと言って、人道的に非難される行為を許しても良いのか」という意味合いだろうか?

実を言うと、藤原彩女さんが私に対しての批判的意図を持ってこの記事を書かれたのかが分かり辛い為、勝手に回答して良いのかは疑問であるが、便宜上これらは私に対しての批判として受け止め反論させて頂く事にする。


まず私は人道的に非難される行為を黙認しろなんて主張した覚えは無い。第二次世界大戦の教訓を元に、国際法がより発達し、戦争を悪として裁けるようにしようと国際社会が動き出した行動原理の一つに、普遍的な道徳観念があった事は疑うべくも無い。しかし東京裁判を肯定する理由として挙げる事を私が是としていないと言う事である。

                              • -

東京裁判にはもちろん不備はあったが、戦後の国際秩序を作った政治的意義は認めるべきだ。」
こんな意見を言う学者がよくいる。しかしこれが詭弁であることはパールが判決書の結論である「勧告」にはっきり書いている。

「(戦後の秩序のため日本の懲罰が必要だったというのであれば)真の究極の「証明スベキ事実」は世界の「公の秩序と安全」に対する将来の脅威であろう。かような将来の脅威を判断する資料は、本裁判所(東京裁判)には絶対にない。(判決書下:741ページ)」

憎むべき敵の指導者を裁くことによって熱狂した感情は「世界連邦」の建設を考慮する余地も残さず、平和の真の条件に対する民衆の理解は増進するどころか、かえって混乱させられるであろう。・・・パールはそう記した。そしてこれが真実だろう。(パール真論:357ページ)

                              • -

過去の行いを反省するのは有益である。戦前の日本が破滅の道を歩んだ事は疑いようの無い事実だし、無理に戦火を拡大させて敵味方問わず被害者を増やした面がある事も事実だろう。それを教訓として国際協調を重視していった戦後日本の外交施策を否定するつもりも無い。「未来をより良くする為に過去に学ぶ」と言う純粋な探求心から日本の戦争を研究するのであれば何も言わない。

しかし戦前の日本を研究している識者の全員がそんな人間であるとは考えにくい(もちろん藤原彩女さんやrekihiko5さんは除く)。南京事件を否定したとしてボロクソに叩かれた某市長の件にしても、明らかに状況を楽しんで「自分の知識をひけらかしたい」一心で執拗な攻撃を繰り返している者も見受けられた。勿論そのような悪意を客観的に証明する術は無いが、戦前日本の叩かれ方は、日本国内及び特定の国において明らかに過剰であると感じている。私が嫌いなのは、ずばり特定のイデオロギーが先行して日本叩きだけを執拗にやっている連中である。こんな奴らが「普遍的正義」だの「道徳」だのを盾に「日本叩き」を正当化する事に対して怒りを覚えているのだ。彼らは良く論敵に対し「歴史修正主義者」とレッテル張りをするが、要するに自分達が語っているのが「歴史」であると思い上がっている何よりの証拠である(「日本の戦争」を語ると言えば聞こえは良いが、実質的に「日本の戦争犯罪」以外ろくに取り上げもしない者の語る「歴史」がおおよそ「歴史」と呼ぶに値する代物なのかは実に疑問である)。


東京裁判において、キーナン首席検事は「この裁判の原告は文明である」と発言し、東京裁判が「文明の裁き」であると強調した(この「文明」の主語がアメリカである事は言うまでも無いが)。しかしその実態が、戦勝国による報復裁判以外の何者でも無い事は自明である。結局人間である以上、その当人がどれだけ正義感の強い人間だったとしても、結局は主観交じりの見方になってしまう。人が「文明」とか「正義」と言った抽象概念で人を裁くのは無理があるのだ。遡ること16世紀の世界では、捕らえた王を勝手に作った法で裁いて処刑し、インカ帝国アステカ帝国を滅ぼすなどと言う野蛮な行為が行われた。それを止める為に発達したのが「国際法」である。勝者の勝手な正義感や道徳観で敗者が不当に裁かれる事の無いようにすべく生まれたものなのである。しかし国際法が誕生してから約400年後に行われた東京裁判では、戦争の勝者が敗者を裁く野蛮行為が堂々と行われた。パール判事が東京裁判を指して「数世紀にわたる文明を抹殺するもの」と批判した所以である。

>法が人の感情に流されるべきでないものであり、全ての存在に平等な裁きを下すべきものであるというのならば、それは法へも全ての存在を網羅し、平等であるという責任を問わなければならないのではないのか?
法が人間の作ったものである以上、常に不完全なものである事は常識である。藤原彩女さんの意見は理想的ではあるが、そんな事が出来る訳が無いから主権国家が存在しているのだという前提をご理解頂く必要があると思われる。


だらだらと書き殴ったが、これが反論になっているかどうかは藤原彩女さんの判断に委ねたい。また一部過激な文言もあり、お気に障る部分があれば謝罪した上で当文書を削除したいと思う。