国際常識とは何か

正直、復帰早々rekihikoさんから敵意むき出しのコメントが来て気分を害してしまったというのが本音である。

http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20131228/1388252307

>先の戦争が「加害」であったことは、歴史学界や国際社会に広くコンセンサスがあります。もちろん歴史学界や国際社会が必ず正しいとは限りませんが、あたかも「一部」の人間の偏った歴史観のように言うのはやめましょう。
まず、下らない揚げ足とりに付き合うつもりは無いので、「日本が加害者である」という論調が一部の国民の偏った歴史感であるかのように主張した点については訂正する。正しいかどうかは別として、日本は加害者であるというのが国際常識になっているのは
まあ事実なのだろう。

>過去にはパール意見書の内容を批判もしましたが、今ここではパール意見書を支持すること自体を問題にしているわけではありません。それは一般的ではない、端的な事実ではないということです。
ことパール判事論になると、rekihikoさんは、具体的な反論はせずに、それは国際常識に反するとか、一般論では無いとか曖昧な言い方しかしない。

「パール意見書によれば、パリ条約は効力がない」と言えば、「パール判事の意見は国際常識では無い」と言い、パール意見書を用いて満州事変で日本側を一方的に加害者扱いするのは適切では無いと主張すれば、「国際常識では日本が加害者である」と言う。
国際常識の方が正しいというのであれば、それを持ち出してもう少し具体的な反論をすれば良いだろうに、それはしない。「こっちが国際常識だと言えば議論に勝てる」程度の気持ちで使っているのが良く分かるというものだ。

大体、それが国際常識かどうかなんて価値判断にどれほどの意味があるだろうか?パール意見書は国際法を基準に書かれているのだから、国際常識などという曖昧な基準では無く、国際法と照らし合わせて評価すれば済む話だろう。でも「大勢の人はこう言ってますよ」など反論されたところで、一体何をどうしろというのか?

極論になるが、日本の戦争犯罪東京裁判で裁かれているが、アメリカの原爆投下などの戦争犯罪は裁かれていない。アメリカが勝者であるがゆえに追及を免れたのであれば、それは力の正義が働いたという事になる。要するに、力の正義によって開かれた東京裁判を、国際法に基づいて否定したパール意見書が国際常識に反するのであれば、力の正義が当時の国際常識とならなければ筋が通らない。そんな国際常識にどれ程の価値があるのだろうか?

過去何回も議論したにも関わらず、rekihikoさんと意見が合わなかったのは残念である。別にrekihikoさんのスタンスを否定するつもりは無いが、国際常識などという便利な言葉で議論を乗り切るスタンスを今後も続けるのであれば、今後は関わらないで頂きたい。