「差別だ」と攻撃する前に


正直この日記を続けるかは迷っているが、書く事がある内は載せていくつもりだ。

ここ数日間のやり取りでふと思い出した事がある。


かつて虹の日記の中で活発にコメントしていた時期(しかしスレの内容から逸脱している内容である事は疑いようも無く、つくづく失礼な事をしたと反省している)に、「差別」についての議論(議論と言える程のものでは無いが)をした事があるのだがら、その際、在日さんという方から頂いたコメントの内容について、

 http://d.hatena.ne.jp/dondoko9876/20100518/1274184800

在日さんはこのように言っている。

「私は高校生の時に、ある善良な日本人の大人から、「○君は見た目も中身もほとんど日本人と変わらない。いや、日本人そのものだ。」との「褒め言葉」を頂きました。この時の私の気持ちを想像してみてください。悪意のない、しかし、不用意な言葉にどれほど傷つけられたことか。この善意の「褒め言葉」に対する私の怒りも、私側の一方的な過剰反応として、30代リーマンさんに一蹴されてしまいそうです。」

在日さんは相手に悪意が無い事は認めつつも、この言葉で傷ついたと仰っている。要するにこの「善良な日本人の大人」の発言はある種の差別的発言と取られるものだという主張のようだ。

私はこの時特に反論はしなかったが、

 「○君は見た目も中身もほとんど日本人と変わらない。いや、日本人そのものだ。」

在日さんはこの言葉に傷ついたというが、それは何故か?身体的特徴等を揶揄された訳では無い。明らかに侮蔑的な言葉を浴びせられたようにも見えない。考えられるとすれば、「日本人扱い」された事に対してなのだろう。しかし日本人扱いされただけで傷ついたと言うのなら、要するに日本人に対し負の感情を抱いているという事では無いのか?つまりそれは「日本人に対して差別的感情を持っている」と言っているようなものでは無いか。

勿論上述の解釈は、私独自のものでありまるで見当外れである可能性も否定はしない。ただいずれにせよ、在日さんには上記の発言のどこに対しどのように怒りを覚えたのかを論理的に説明する義務が生じると言えるだろう(聞かれた場合には)。ただもう一つ重要なのは、在日さんは傷付きつつも上記の人物を直接責めてはいないという点である。怒りを覚えつつも自制したという点については素直に尊敬するし、事あるごとに「差別だレイシズムだ」とわめくだけの左派などとは区別しなければ失礼である。


差別を受けたと感じた場合には、まず相手を差別主義者とののしる前に、それが差別的感情からのものであるかどうかを区別して欲しい事と、場の空気を読んで多少気に障っても我慢する事をお願いしたい所だ。「差別だ」と主張する側が傷付いているのは言うまでも無いが、「差別だ」と主張される側も同様に傷付くのである。それが無意識によるものならなおさらだ。

相手の感情に配慮しろと言うのであれば、言った当人も相手の感情に配慮して欲しいものである。加害者側の自己欺瞞だと言われればそれまでだが、、、


それ以前にネット上での言論などにこのような馴れ合いは一切無用だと言われても、反論のしようは無い。