読書感想文 小林よしのり著「パール真論」


ラダ・ビノード・パール氏とは、言うまでも無く東京裁判の判事の中でただ一人被告全員に対し無罪を言い渡した判事として有名である。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%88%A4%E4%BA%8B

小林よしのり氏は、自身の著作である「戦争論」や「いわゆるA級戦犯」等でも度々パール判事に言及しているが、この「パール真論」は更に深く掘り下げて研究している。
元々は、中島岳志氏との論争を出発点としているが、結果的にはパール判事やパール判決書の内容を理解する上での資料としての意味合いが大きいと言えるだろう。

ちなみに小林氏が中島氏を批判している箇所については、論争の原因となった中島氏の著作が手元に無い上読んでいないので特に触れない(ただ論争そのものは小林氏の完全勝利と見て良いだろう)。

まず本書の序盤では、「パール判事に関しての俗説(そのほとんどが中島氏によるものであるが)」に対しての反論がメインとなっている。

私が読んだ限りでは、以下の4点のポイントに搾って良いようだ。

 1、パール判事が、判決書に自身の思想信条を反映させている
 2、パール判事は、道義的責任が日本にあると主張していた
 3、パール判事は東京裁判を一部肯定していた(南京事件を認めた件などで)
 4、パール判決書は、「日本無罪」という意味では無い(正確にはA級戦犯無罪である)

1、パール判事が、判決書に自身の思想信条を反映させている
小林氏は、次のように書いている(一例)。

パール氏が1910年の日韓併合について、1905年の日英同盟新条約に基づいてそれを合法であると判断している点について、「日本がイギリスのインド植民地支配を尊重する」事を担保に「イギリスが日本の植民地支配を尊重する」という、インド人の心情としては納得出来るようなものでは無い条約であるにも関わらず、パール氏は「国際法上、(日韓併合は)合法」としか書いていない。(パール真論:158ページ)これを根拠に、自身がインド人である事などは無関係に国際法上による客観的判断によりパール氏が判決文を書いている証拠であるとしている。

その他いくつかの具体的な反論を経て、

パール判事は、国際法を厳格に適用して東京裁判を書いており、個人的な思想信条を判決書に持ち込んではいない。ましてインド人だから同じ有色人種の日本への同情で無罪判決を書くはずが無い。そのような意見は、パールの国際法学者としての矜持を踏み躙る愚行である(パール真論:6〜7ページ)と強く反論している。

2、パール判事は、道義的責任が日本にあると主張していた
小林氏は、そもそも道義的責任の追及など裁判官の役割では無いし、事実パール判決書にもそのようなものを追及している箇所は一切無いと反論している。

「パール判決書は日本の道義的責任までは免罪してはいない」というのはサヨクの常套句でもあるが、全くのウソである」(パール真論:135ページ)
「「遠山の金さん」じゃあるまいし、裁判官が判決書で道徳を振りかざして一体何になると言うのか?」(パール真論:136ページ)

3、パール判事は東京裁判を一部肯定していた(南京事件を認めた件などで)

比較的有名な意見として、パール判事が「南京事件を事実と認めた」というのがあり、私もパール真論を読むまではそうだと思っていた事を白状せざるを得ない。

小林氏は「パール真論」の第16章でこれに反論しており、そもそも東京裁判での争点は「南京事件の有無」では無く、被告個人の責任問題であると主張している(要するにパール判事の言葉尻だけを捉えているだけ)。

更に、パール判決書の中でも「戦時宣伝」の問題に言及し、また「南京暴行事件」について証言した3名の証人の陳述を検証しており、「曲説とか、誇張とかを感ずることなく読むのは困難である」「申し立てたことのすべてのことを容認するのはあまり賢明でない」「この証人は本官の目にはいささか変わった証人に見える」とほぼ全面否定している事を挙げ、

「これが戦争犯罪を実行したとされる被告の裁判だったら、犯罪事実の有無自体が最大の争点となるから、弁護側も徹底的に事実を争い、パールは全証拠の検証をしただろう。その場合、おそらく下した結論は全く違ったはずである」(パール真論:185ページ)と結論付けている。

4、パール判決書は、「日本無罪」という意味では無い(正確にはA級戦犯無罪である)
特に田中正明氏著「パール判事の日本無罪論」への批判が多く、「無罪」という言葉そのものに懐疑的な論者が多いそうである。小林氏の反論は、田中氏の擁護がメインとなっている。

小林氏の見解としては、パール判決書に「本官の見解によればここに述べられた行為はすべて国家の行為である」と記されている事を根拠に、「日本無罪論」はミスリーディングなどでは無いという事である(パール真論:227ページ)
更に小林氏は、「薄らサヨク学者は、「日本無罪論」を「日本無謬論」と勘違いしているのでは無いか」と指摘しており、2の同義的責任と合わせ、「法律上の「無罪」と道徳的・倫理的な「無謬」の区別も付いていない」と指摘している。


長くなったので後は次回にする(何だかあらすじの紹介しているだけだ。それはそれで読書感想文らしいのかも知れないが(笑))

ゴーマニズム宣言SPECIAL パール真論

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