慰安婦問題における加害者は誰か?

慰安婦問題を考える上で、真っ先に抱く疑問が、何故問題発覚までの時間がここまで掛かったのかという点である。

慰安婦問題の発端は、かの有名な吉田証言である。ただしinunumaaさん曰く、韓国政府が言論統制を行っていて慰安婦が告発出来なかったとの事であるし、ネット上で調べた限りでも「韓国軍事独裁政権のせいで慰安婦が名乗り出る事が出来なかった。韓国が1987年に民主化した事でようやくこの問題を韓国国内で議論する事が出来た」と、まるで吉田証言の有無に関わらずそれ以前に慰安婦問題が顕在化していたかの様な言い分も見かけたが、まず物理的根拠に乏しい事は勿論の事、その「韓国軍事独裁政権」が日本の戦争責任を隠蔽する理由も良く分からない為、論理的根拠も無い。はっきり言ってただの陰謀論の域を出ていないと言わざるを得ないのである。

そもそも当該事件は、1930年代から1945年までの間の出来事であり、問題として発覚したのが1980年代の吉田証言であるという点に疑問が残る。この40年間の空白期間は一体何なのか?

まず、いわゆる東京裁判において慰安婦問題は全く登場しない。別に日本政府がその存在を隠蔽したとかでは無い。純粋に問題にならなかったというだけの事である。仮に訴因の中にこの問題が入っていれば、パール判事の法的見解を伺う事が出来たと思うと、残念という気もする。

その後、1965年の日韓条約においても登場していない。この時点でなら加害者(?)も被害者(?)もまだ多数存命していたはずである。にも関わらず全く話題に上っていない。特に被害者側が告発しなかったという点は重要である。名乗り出たが韓国政府が握りつぶしたと主張するのであれば、その根拠を示す必要がある。

上記から導き出されるのは、そもそも慰安婦問題は吉田証言まで問題として認識されなかったという事である。それは日本政府、韓国政府、そして元慰安婦全てに共通する事である。

以前inunumaaさんとの議論で以下のように書いた事がある。

http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20111017/1318850924

「そもそも「従軍慰安婦問題」というのは、日本の一部の「戦後世代」が現地調査をして告発する事で発覚している。被害者は、その方々から「貴方達は実は被害者なんですよ」と言われて初めてその立場に気づいたのである(戦後40数年経ってからようやく名乗りを挙げたのが何よりの証拠だ)。この「日本人」がいなければこの問題は闇に埋もれていた可能性が高い訳で、まるで「都合が悪くなったからとかげの尻尾切りをしよう」と言っているように見えるでは無いか。被害者は彼らの功績を認め、感謝を忘れない心が必要だろう。その意味でも、区別などするのは失礼な話である。」

勿論この言い分にかなりの皮肉が含まれている事は否定しない。要するに、戦後に(吉田清治氏を始めとする日本人の啓蒙活動により)女性の人権や性暴力への意識が高まった事によって、戦時中の慰安婦制度が問題(と見なされるよう)になったという話である。これは現在の(進化した)価値観で過去を俯瞰していると言う事を意味している。歴史研究の観点から批判的に見る事までは否定しないが、賠償責任に発展する問題では無いと考える。現在の価値観や道徳で、過去の価値観や道徳を裁く事は出来ないからだ(法の不遡及の精神に近い)。こういう事を主張すれば例によって「歴史修正主義者」とレッテル張りされる訳であるが、「当時問題にされていなかった慰安婦制度が、実は戦後すぐに問題になったにも関わらず韓国政府と日本政府がそれを黙殺した」等という陰謀論を展開する左派の方が、余程「歴史を修正」しているように思えてならない。


慰安婦問題についての論点は先日の通り多岐に渡っており、集約するのが困難になっている。例えばhokke-ookamiさんのブログでは「慰安婦の募集対象に未成年の女性が含まれており、これが慰安婦の違法性を示す証拠である」という記事が載っていた。

http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20110707/1310060781

仮にそれを持って違法とする場合でも、慰安婦に対しての賠償責任となるとは言えないだろう。共犯者だなどとまでは言わないが、純粋な被害者として見れるかと言えば疑問であるし、じゃあ未成年で無ければ被害者では無いのかと言えばそれは問題の矮小化である。極端な話、「慰安婦制度に対する日本の賠償責任があるか」という論点に、未成年の売春が違法であるか否かは影響しない。結局の所、慰安婦制度を日本の悪事とする為に粗探しをしているようにしか見えない一例である。

この際、人道的な観点から民間団体なりが慰安婦に対して支援を行う事には何も言わない事にする。現在の価値観によるものとは言え、慰安婦を被害者として扱う事そのものは悪い事ではないし、戦時下の貧困の中で、身体を売る事でしか生計を建てられなかった悲惨な境遇に対し同情の念を禁じえない事も事実である(その意味においては、元慰安婦を安易に「金の為に身体を売った売春婦」呼ばわりするような右派も慎むべきだろう)。しかしその加害者は、慰安所を設置した旧日本軍では無く、慰安所の設置を悪と認識しなかった当時における世界全体の道徳観念そのものである。慰安婦及びその支援者が現在の価値観や道徳観念を持ち出して、旧日本軍を性犯罪者呼ばわりする事だけは断固として容認出来ない。