パール判事の法律観

「戦争は違法化されていた」
http://d.hatena.ne.jp/kaipopo/20120205/1328461063

上記kaipopoさんから頂いたトラックバックに対しての返信である。

http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20120203/1328285967
上記記事のコメント欄で、「(ある戦争について)法的にそれを「侵略戦争」であると断罪出来る法的根拠がありませんでした。」と私が書いたことについての反論であり、

歴史修正主義者はこういった事実を覆い隠して、パール判事を賛美する主張を繰り返しています。
パール判決書が「パリ条約」や「九ヶ国条約」を知らずに日本の戦争を侵略行為と断じなかったというニュアンスであると感じたので、実際にパール判事がこの2つについてどのように触れ、日本を擁護しているのかを挙げたいと思う。


パリ条約について

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英国は受諾に際し、英国にとって重要な地域を攻撃から防護することは自衛措置であり、パリ条約の制約を受けないという「必要条件」を主張した。
米国でもケロッグが、自衛権は各国領土の防衛のみには限られず、自衛権がどんな行為を含むかは、各国が自ら判断する特権を有していると言明した。
結局、パリ条約は各当事国それぞれの利益のための留保条件で穴だらけだった。法律とは各人の意思にかかわらず義務が発生するものでなければならないのに、パリ条約が課する義務は、それぞれの国家の意思で決められる。これでは「法律」とはいえないというのがパールの見解だった。(パール真論:247ページ)

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補足になるが、パール判事は、パリ条約以外にも、様々な慣習法、自然法などにより戦争を犯罪と定義出来る法が無いかを調べており、その結果「第二次世界大戦開始時までは、どのような戦争も犯罪ではなかった」と結論づけている。

> http://hamusoku.com/archives/6255191.html
  http://b.hatena.ne.jp/Apeman/20111025#bookmark-64488337
 
  1がなぜ“駄目”なのか、淡々と教えてやる。「当時国際法で完全に合法だった戦争」はい、もうここで間違い。

よってApeman さんには、日本の戦争がどの国際法で犯罪と定義されうるのか、説明する義務が生じると言える。


九ヶ国条約について

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会議では中国側の要望は原則として認められ、国際協調で中国の困難を解決し、発展させることを目指す「九ヶ国条約」(ワシントン条約ともいう)が締結された。
これは中国の主権・独立と領土保全を尊重し、締約国が中国で「特殊地位」を持つことを否定するものだった。
ただし日本人は、満州における特殊地位は、国際協定で左右されるものではないと確信していた。また、各国とも条約の実行には意見の相違があった。中国自身に十分な行政・警察・司法制度を整える能力がなく、中国の要望どおり権利を返還すれば、中国に存在する自国民の安全や利益が危険にさらされるからである。
しかもワシントン会議の終了後、会議に出席していた北京政府は内乱で転覆し、満州を支配する軍閥張作霖は、新たに樹立された政府に対し満州の分離・独立を宣言。独立を自称する政府が3つになった(北京・広東・満州)。蒋介石の国民党が率いる広東の国民政府は、北京政府の中国代表権や条約の締結権を否定し、ついには関税会議も開けず、分裂した各地方政府ごとに商議を行う有様となる。しかも国民党は国際協調という条約の根本原則を無視し、政策として激烈で大規模な排外態度を採用し、軍備を拡張する。一方、中国の共産主義運動は相当な勢力を得て、国民政府と対決する勢力となった。
結局、九ヶ国条約はどの締約国にも効力を持たなかった。九ヶ国条約は明確な満了期限を規定していない。国際法ではこのような場合は「現状の持続する限り」と了解すべきであり、条件がすべて変化した以上、条約上の義務は終わったと弁護側(東京裁判)は主張。パールはその主張を有力と認める。(パール真論:268、269ページ)

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満州における特殊地位・特殊権益が日本の自存に必要なものであったならば、条約で日本の権益を奪うことはできないとパールは言う。
なぜなら「自存」とは「たんに国歌の権利であるだけでなく、同時にその最高の義務であり、他のあらゆる義務はこの自存の権利および義務に隷属する」というもので、国際関係においても、自存の権利はその他のあらゆる権利義務に優先するからである。(パール真論:270、271ページ)

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東京裁判を擁護するとすれば、侵略戦争の「犯罪化」に向けて国際法が輝かしい一歩を進めたことですが、現在戦争犯罪を裁くICCに見られるように、その後の世界が侵略戦争の犯罪化に対して足踏みしていることは悲しむべき事実です。
侵略戦争の定義の難しさを理由に、未だにそれを犯罪と見なす事が出来ない事は残念ではあるが、実際その定義付けの難しさについてもパール判事は語っている。

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「法による正義の優れている点は、裁判官がいかに善良であり、いかに賢明であっても、かれらの個人的な好みやかれら特有の気質にもとづいて判決を下す自由を持たないという事実にある。戦争の侵略的性格の決定を、人類の『通念』とか『一般的道徳意識』とかにゆだねることは、法からその判断力を奪うに等しい」
「どのような法の規則にせよ、それは流砂のように変転きわまりのない意見や、考慮の足りない思想といった薄弱な基礎のうえに立つものにしてしまってはならない」
困難であっても「侵略」定義は(慎重かつ厳密に)しなければならないと言う所以である。(パール真論:254ページ)
「おそらく現在のような国際社会においては、『侵略者』という言葉は本質的に『カメレオン的』なものであり、たんに『敗北した側の指導者たち』を意味するだけのものかもしれないのである」(パール真論:256ページ)

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パール判決書を引用している側のほとんどが「歴史修正主義者」と呼ばれる側である事は否定しない。しかしパール判事は極めて公明正大であり、その厳格な法律観及び国際法の知識を元に「東京裁判」を全否定している事は疑いようが無い。支持している人間が「右翼」であろうが「歴史修正主義者」であろうが、パール判事の業績や裁判官としての矜持を損なう事は無いのだ。