君が代問題における私見


http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20120130/1327931683

上記記事で、id:uchya_xさんから丁寧なコメントを頂いた。

>私自身は君が代は国歌としてふさわしくないと考えていますが、それはそれとして。
たとえ別の歌であったとしても歌わなければ処罰する、というやり方で歌わせるなら反対しますよ。
国歌も国旗も忠誠心を計る為の道具にしていいものではありません。

まず、「君が代が国歌としてふさわしくない」かどうかは私は何ら意見を持っていないので反論しようがない。
「国歌を歌わない者を処罰するのは間違っている」という点については、私自身それを理由に職を追われたりするような厳しい処罰を受けるというのはやりすぎであると感じている。
「国歌も国旗も忠誠心を計る道具にしてはならない」という点についても同意する。実際にそのような邪な理由で国歌や国旗を利用している者がいるのであれば、それこそ正に「君が代」と「日の丸」に対しての冒涜であると言える。

基本的にuchya_xさんの主張に対し反論すべき点は見つからない。

「たとえ別の歌であったとしても歌わなければ処罰する、というやり方で歌わせるなら反対しますよ。」というコメントから察する限り、ucha_xさんは「君が代が国歌として相応しいか否か」では無く、「国歌を歌う事を国が強制する事」を問題視されているようである。これはつまり、君が代に代わる国歌を用意したとしてもこの問題は収束しないという事を示唆していると言える。

ここで、いわゆる君が代裁判においての判例を見てみたい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%97%97%E5%8F%8A%E3%81%B3%E5%9B%BD%E6%AD%8C%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%B3%95%E5%BE%8B
争われている内容は、主に「学校校長の職務命令は思想及び良心の自由を保障した憲法19条に違反するか否か」であると見て良い。これまで最高裁判決で確定した判例において、「憲法19条に違反する」という判決例は出ていないようである。注意しなければならないのは、これらの判決はあくまでも「職務命令が思想信条の自由を侵害していない」と言っているだけであり、「君が代を忌避する思想信条を持つ事」を悪いと言っている訳でも無ければ、ネット右翼の常套句(?)である「公務員であるから国歌・国旗に対し心の底から敬意を表しなければならない」と言っている訳でも無い。また同時に、uchya_xさんの仰るような「国歌や国旗を忠誠心を計る道具にしている」という事実関係を認めていないという事も意味している。

これまでの判決例から確実に言える事はただ一つである。「国歌斉唱時の校長の起立命令に対し、思想信条の自由を理由にそれを拒否する行動は認められていない」という事である。それは教員に対し君が代を拒否する信条を棄てろと命令しているものでは無い。単に入学式や卒業式の場でそのような思想信条を表現する自由を認めていないというだけである。これらの判決は、君が代を忌避する教員に利するものでない事は勿論、我々ネット右翼と呼ばれるものに何ら利する部分は無い。何故ならネット右翼の目的は「君が代を忌避する思想の根源である(敢えてネット右翼が好む書き方をすれば)自虐的でかつ卑屈な反日左翼思想」とか言う物を叩き潰す事だからである。これらの判決では「起立命令には従え」としか言われておらず、起立している教員が「君が代を忌避する思想信条を持つ事」については別段処断していない(実際裁判官が判断するような事でも無いが)のだから、何の解決にもなっていないでは無いか。こういう判決が出る度に勝ち誇ったように「教員ざまあwww」とか言っているネット右翼は、はっきり言ってただの馬鹿である。


前置きが長くなったが、当件に関して私の意見を改めて述べる事にする(同じような事は何度か過去記事で書いていると思うが)。

君が代を快く思わない教員が、卒業式や入学式の場で君が代を斉唱させる事がどうしても嫌だと思ったとしても、起立が職務命令である以上、それに対して不起立を貫いて反抗しても意味は無い。そのような手段では、(過去の裁判事例を見る限りでも)無駄に自身の教員としての立場を危うくするだけでなく、最悪生活基盤を破壊される事にもなりかねない。ここでの職務命令の根拠は「学習指導要領」なるものであるのだから、「卒業式、入学式の場での国歌斉唱」という慣習を「学習指導要領」から廃すべく働きかけれるべきであり、そのような問題提起を私人として行えば良い。「たとえ死刑廃止論者の裁判官であっても、法に従い時には死刑の判決書を書かなければならない」事と同じで、教職員という立場で学校教育に携わる以上、教員一個人の思想と必ずしも一致しないようなものであっても、生徒に対し教育、指導する義務があるのである。それをおかしいと批判する場合であっても、教員の職務遂行とは別次元の問題であり、職務命令違反を正当化する理由にはならないのだ。何も「抗うな」と言っているのでは無い。「正しく抗うべきだ」と言っているのである。
第一、現在裁判で争われているのは「起立命令を一教員として拒否する権利の是否」であるが、仮に「拒否する権利」が認められたとして、貴方達はそれで満足なのか?全体としてはほとんどの教員・生徒達が起立している状況であり、貴方達はこれを「特定の思想を子供達に植え付けている」と危惧しているからこそ抗っているのでは無いのか?拒否する権利が認められて事実貴方達が起立しなくても、当の子供が起立していては何の解決にもならないではないか。もっとマクロな視点で、「卒業式・入学式の場で国歌斉唱を行う決まり事」を廃すべく働きかけるべきだろう。その意味では、まず現状のような「起立命令に拒否する」などとというプロセスそのものを見直す事をお勧めしたい。

IDトラックバックという機能があるとkaipopoさんから教えて頂いたので、一応uchya_xさんにトラックバックを送ったつもりなのだが、上手くいっているだろうか?