歴史認識の違い


体調がすこぶる悪い・・・。熱が下がらない中書いた記事なので、いつもにも増して文脈が酷いかも知れないが、ご勘弁頂きたい。

http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20111114/1321276630

数ヶ月前にコメントを頂いた金李朴さんより、またコメントを頂いた。

正直申し上げて、私は金李朴さんとの議論を余り有意義に感じていない。一番最初に頂いたコメントからそれはひしひしと感じてはいた。恐らくid:kaipopo(inunumaa)さんの歴史認識は金李朴さんと共通する部分が多い(少なくとも私などよりは)とは思うが、 金李朴さんの場合、議論する上での前提の歴史認識が違いすぎるのである。一例を挙げると、

>当時のアジアには中華を中心に据えた冊封体制があり、いわばそれが国際法規に相当するものでした。列強の末席である日本はこれを完全に無視し、清と朝鮮の関係を武力で断ち切りました。
中学校レベル(それ以下?)の歴史知識しか無い私でも、その違和感は容易に感じとれる。日本が列強の仲間入りを果たしたのは、一般的には日露戦争以降のはずである。軍備の近代化は果たしていたとは言え、この頃の日本が欧米列強の仲間入りをしていたなどというのは過大評価だとしか思えない。清国は、「列強の末席」などと呼ぶにも値しない日本に敗北しているのである。そこから導き出せる事実はただ一つで、冊封体制にアジアの秩序を守る力は皆無だった」という事なのである(もっともそれ以前にアヘン戦争冊封体制は崩壊寸前だったような気もするが)。また、何も私は日本が正義で、清が悪だなどとは思っていない。清と日本の利害が一致しえなかった故に起こった戦争であり、パワー・ポリティクスに支配されていた当時の国際社会の常識の範疇での出来事だったというだけの話なのである。

また金李朴さんは自らを「在日韓国人」と称している関係上、やはり日韓併合等の歴史認識においては、韓国の主観に極めて近いものであるようだ。私はそれを批判するつもりは無いのだが、私がどのような言葉を持って日本の立場を擁護しようとも、金李朴さんにそれを受け入れて貰える気がしなかった。そして「道義的見地」からすれば、戦前の日本を悪と断ずる事は容易であり、ただのネット右翼である私にはそれを論破する力がないのだ(我々のようなネット右翼では、豊富な歴史知識を持って「日本=悪」と主張するid:hokke-ookamiさんやid:Apemanさんにはとても太刀打ちできない)。

しかし金李朴さんの今回のコメントは、長文でかつ極めて誠実なものであると感じた。不毛な結果になるであろう事は分かりきってはいるが、私も出来る限り誠実な態度で反論させて頂く事にする。

前置きが長くなったが、以下から具体的な反論になる。


>ところで、「当時はそういう時代であった」という主張を補強するのに、君がパールを持ち出すのは不思議だ。君の立場を踏襲するならば、君はパールの考えを「当時の非常識」と看做す必要がある。何故ならば、パールの考えは東京裁判における例外的な少数意見であり、パール的世界観は「当時の国際法廷」によって「否定」されたのだ。如何に理不尽でも「仕方ない」だろう。
確かにパール判決書は東京裁判において政治的な効力を発揮したとは言えない。被告は全員有罪となり、東條英樹元首相他7名は処刑されたのである。
しかしそれは、多数判決とパール判決のどちらが法的価値が高いのかという本質の問題とは全く無関係である。パール判決が日本(の右派)にとって都合が良いから歴史修正主義者が賛美しているのだと疑われる事は一向に構わないが、「パールの考えが「当時の非常識」」などというパール判事の名誉を傷つけるような言い方は到底看過出来るものでは無い。
「パール判決書」は結果的に日本に利する書ではあるが、同時にそれが極めて客観的でかつ法的価値の高い判決書である事は基本的に誰もが認めている。「日本=絶対悪」を主張する左派ですら、パール判決を不当判決である等とは絶対に言えないし、そんな大それた事を言った左派は今まで見た事が無い(日暮氏はそれに近い事を書いたのかも知れないが)。

>日本による強引な保護国化の不法を訴えるため、ハーグへと向かった韓国人の密使一行。また、それを手助けしようとした少数の欧米人。彼らの「常識」を平然と黙殺する君は、少数意見であるパールをも黙殺すべきである。
余りにも強引な理論である。ハーグ密使事件において密使の訴えが退けられたのは、それが法的根拠を示せなかった事が原因である。パール判決書は、法的根拠は申し分ないものであるが、政治的にそれを握りつぶされた事が原因だ。この2つは、全く性質が異なるのである。私はこの密使3名については、本気で祖国を愛する者達だったと思うし、愚かだとか無駄な努力だったとかは決して言わないが、残念ながら「第二次日韓協約」は当時合法だったのだ。それを覆す法的根拠が一切無かった事は否定出来ない事実なのである。

>私は、パールの「日本無罪論」は列強国に対する逆説的抵抗であった捉えている。日本帝国主義の擁護では決してない。パールが日本を含めた帝国主義を憎んでいたことは、パールの子孫によって証言されている。また、彼は日本を「欧米の悪しき模倣者」と評している。
パール判事は欧米諸国への憎悪を下に判決書を書いたわけでは無いと本人が名言しているし、パール判事の孫であるサティブラタ・パール氏もそれを肯定している(※)。韓国と同じく植民地支配下にあったインド人として思う所があったであろう事は想像に難く無いが、パール判決書にはそれを匂わせるような語句は一切無いのである。私は基本的にパール判決書の原文を読んでいないが、少しだけかじった事がある。その際の感想としては、パール判決書に書かれているのは、パール判事自身の言葉以外に、他の法学者の言葉を引用している箇所が非常に多いのである。この判決書を書くにあたり、どれだけの法文書や条約文を参考にしたのか良く分かるものだ。パール判決書には、パール判事個人の思想など一切反映されていないのだ。

※「祖父は西欧の植民地で公然とまかり通っているダブルスタンダードに悩まされていたので、もし裁判が西側が支持することを主張する法律の基準から逸脱することがあれば、世界に公言しようと決心したのだと思う」(『正論』平成18年12月号での「回想録」より)。よく「パールは植民地主義への憎悪からあの判決書を書いた」と言われるが、孫によればそれはあまりにも短絡的な解釈で、「もし彼の判決の中に何らかの憎悪があるとしたら、それは偽善に対するものである」という。(パール真論:156ページ) 

>移動、通信の手段が発達していない時代には、アジアには「アジアの常識」があり、欧米とその模倣者である日本には「列強の常識」があった。「前者は後者に劣る。前者は弱者であり、後者に支配されても致し方ない」という価値観が、当時の中小国をも含めた真なる「国際常識」であったのだろうか。私は極めて疑わしく思う。また、当時の国際法なるものも、列強による身勝手なカルテル、言わば「列強法」に過ぎず、真の「国際法」と呼ぶに相応しい代物ではない。
国際法は現在においても不完全なものと言われる。国際法は歴史の中で絶えず進化し続ける性質の法律であり、当時の道義的観念を全て吸収したものであるとは保証できないし、絶対的かつ全面的に正しいとまでは言えなかった事も事実だろう。だが国際法以外に世界が国レベルの組織を裁けるような法律は一切存在しないし、当時それ以外の判断基準がなかった事は歴史的事実である(※)。勿論それを持ってパール判事以前に「国際法」そのものが間違いでは無いかと非難する事は自由だろう。しかしそれはもはや「歴史研究」の範疇を超えているように思える。

マッカーサー元帥が東京裁判で発布した裁判所条例(チャーター)を支持するのなら別だが

最後に、

>「現代の価値観で過去の良悪を判断してはいけない」という誤魔化しは、おそらく「新しい歴史教科書をつくる会」が広め、今や非良心的な一部右翼の常套句となった。私はこの考えは極めて非生産的で、無責任であると思う。歴史の研究、学習の意義を削ぐ考え方だ。第一、全ての現代人は現在の価値観の縛りを受けており、ある事項が過去の常識であったか否かを「現代人が判断」する時点で、既に現代の価値観によるバイアスがかかっている。100年前の人々の価値観を普遍的かつ正確に再現可能という思い上がり自体、至極傲慢ではないか。軍事力を背景とした恫喝による条約への署名強要を「当時の常識であった。仕方ない」で片付ければ、また同じ過ちが繰り返される。例えば、私は現代のアメリカは危険であると思う。「アメリカの利益=現代の世界常識」と彼ら考えているのではないか。
純粋な歴史研究の範疇で過去の良悪を判断する事については何も言わない。しかし東京裁判で裁かれた28人の内14人の「A級戦犯」が靖国神社に祀られているというだけでそれを悪とし、ましてや分祀せよなどという意見が現在においても見受けられるのはどういう事か?「同じ過ちを繰り返さないよう過去を学ぶ」のに、既に歴史上の人物であるはずの東條英樹等を徹底的なまでに憎み、その尊厳を未来永劫否定し続けるような事が必要なのか?私が言いたいのはそういう事である。