(恥ずかしい)思い出話

ふと思い出した他愛も無い話である。

小学校低学年の頃、学校で「平和教育」という内容の特別授業が開かれたのだが、その中で中心となった話題は「広島・長崎への原子爆弾投下」についてであった。配られたプリントには、被爆者の写真が掲載されていて、その悲惨さを訴える内容だった。

それを受けて、私は学級日誌か何かで、次のような感想文を書いた事がある。

「げんばくを落としたアメリカがゆるせないとおもいました」

それに対し、後日担任の教師から、以下のようなコメントを追記された。

「確かにそうだね。でも日本もアメリカの人たちに悪い事をしたんだよ。真珠湾攻撃で、たくさんのアメリカの人たちが亡くなったんだよ。日本が戦争を始めたことも反省しないといけないね」

記憶違いもあるかと思うが、大筋ではこんな流れだったと思う。当時の私は「そうだったのか」と素直に納得した。恐らく「戦前の日本が悪い事をした」という認識をこの時にはじめて持つ事になった事柄だったと記憶している。
攻撃対象が軍事施設だった真珠湾攻撃と、広島・長崎の大多数の一般市民を対象とした原子爆弾投下を同一視してよいのか(要するに真珠湾攻撃を理由に原爆投下が正当化出来るのか)という根本的な疑問は置いておくとして、重要なのは「原爆投下は日本人が自ら招いた」という認識そのものだろう。断っておくが、上記の教師がそのような認識であったという訳では無い。当時の私がそのように解釈したという事なのである。「正義のアメリカが悪の日本を懲らしめる為に原爆を投下した」などという陳腐な勧善懲悪ものアニメのような考えを、中学に入る辺りまで本気で抱いていたという、恥ずかしい思い出話である。


これも小学生低学年の頃の話であるが、ある日担任教師が「戦前の小学校の教科書」(確か国語)を持ち出してきて、その中に「へいたいさんがあるいています」などとと書いている内容(他にも例示があったが覚えていない)から、戦争を良いものであるかのような事を教えていたのだと言っていた。

「みんなは戦争が悪いというのが当たり前だと思っているけど、当時の小学生は戦争を良いと思うのが当たり前だと教わっていたんだよ」

と説いていたのが記憶に残っている。当時の私はこれを曲解し、「戦前の小学生は戦争をする事が当たり前で正しい事であるというに学校から教育を受けて、あまつさえそれを疑いもせずに信じ込むような単純な人間だった」などと、当時を生きる人々を愚弄するような認識を持ってしまっていた。言うまでもなく単純なのは私であった。

いや、本当にお恥ずかしい。