東京裁判は一部でも肯定し得るのだろうか?

流石に今日、東京裁判を全面的に肯定する意見など、流石に左派からも聞かない。しかし不備がある事は認めつつも「戦争を悪と断罪したという前例を作った事は評価すべき」などと、一部だけでも肯定しようと試みる識者はかなりいるようである。
結局の所、「法的には」という留意点を付けたとしても「日本を無罪」という事に無意識に反感を覚えているというのが本音では無いだろうか(現在においても、戦前の日本の戦争犯罪だけが異常なまでにクローズアップされているのもそれに近い感情が根底にあるからだと思われる)?忌憚なく言わせて頂ければ、東京裁判を一部でも肯定しようとする識者は、ほぼ間違いなく「東京裁判史観」に影響されていると言っても良い。

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パール博士は極東軍事裁判そのものを根本的に否定している。それは戦勝国が、復讐と宣伝の欲望を満足させるために、国際法を無視し、司法と立法を混合し、法の不遡及まで犯した一方的な軍事裁判だったからである。「だから、日本人はこの裁判の正体を正しく批判し、彼らの戦時謀略にごまかされてはならぬ。日本人が過去の戦争において、国際法上の罪を犯したという錯覚におちいることは、民族自尊の精神を失うものである。自尊心を失った民族は、強大国に迎合する卑屈なる植民地民族に転落する。日本は、連合国によって与えられた”戦犯”の観念を頭から一層せよ」とパール博士はいうのである。
だが、われわれは東京裁判を否定し得るとしても、われわれ日本人として、過去において、なんら反省すべきものをもたないかといえば、決してそうではない。過去の日本の政策が軍国主義的、または帝国主義的色彩が強かったことを、われわれは否定することはできない。だからこそ、日本の対外政策が東亜諸民族の不審と猜疑を招き、ついに無謀な戦争へと突入したことはおおうべかざる事実である。もちろんパール博士はこれを認めている。「この点で西欧帝国主義をそのまま見習った」といっている。(田中正明氏著:パール博士「平和の宣言」36ページ)

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田中正明氏を「右翼」程度にしか認識していない側は、上記引用文の後半部分には少なからず驚くのでは無いだろうか?よく「「日本無罪論」というタイトルでパール判事の真意を曲げた」と非難される田中氏であるが、ちゃんと「法的に無罪である」という事と、「道義的に無罪である」という事を区別しているのだ。パール判事は言うまでも無いが、田中氏も法と道義を混同して日本が無罪だと主張している訳では無いのである。
東京裁判で日本が裁かれた罪状は、「平和に対する罪」「人道に対する罪」「通例の戦争犯罪」の3つだが、当時の国際法上成立するのは、「通例の戦争犯罪」だけである。ではこの「通例の戦争犯罪」で裁かれた部分だけでも肯定出来るじゃ無いかという意見があるかも知れないが、少なくともそれを「原爆投下」という最大級の戦争犯罪を完全に無視して行われたこの裁判を肯定する根拠にするのは、それこそ「道義的に」疑問が残るところである(原爆は日本の戦争犯罪を裁くのには一切関係ないとまで言うのであればもはや議論の余地は無い)。