東京裁判を肯定する余地はあるか(rekihikoさんへの返信)

id:rekihikoさんより頂いたトラックバックに対しての返信である。ただ以前のように熱くなりすぎないよう細心の注意を払うつもりである。

東京裁判を肯定するには」
http://d.hatena.ne.jp/rekihiko/20120219/1329667726

東京裁判を「勝者の裁き」と否定し続けては、国際法の発展はありえないと思うのだが・・・。
これと似た事を日暮氏は主張しているようで、小林氏から槍玉に挙げられている。

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日暮は、東京裁判を「文明の裁き」とする肯定論も、「勝者の裁き」とする否定論もとらないという。そして「勝者の裁き」だからといって全否定してはいけない理由をこう言うのだ。
「国際政治にも「規範」や「道義」は存在するのに、日本人の「勝者の裁き」論は、敗者のルサンチマン(弱者の怨恨)のせいで「勝者の正義」も「日本の過誤」も認めない。これは問題である。」(「東京裁判」31ページ)
国際政治に「規範」や「道義」があるのなら「敗者・日本の正義」も「連合国の過誤」もあるだろう。それが(東京裁判では)完全に見過ごされているから、「勝者の裁き」は否定しなければならないのだ(パール真論:219ページ)

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さらに馬鹿馬鹿しいことに、日暮はパールの国際法感覚については高く評価する。ところがその一方で連合国が言った「文明の裁き」も、たとえ不完全だったにせよ、国際社会の「法の支配」見据え、正義や規範を追及しようとしていたものであり、完全否定すべきではないというのである。
パールの国際法感覚は、東京裁判を「勝者の裁き」どころか、「文明を抹殺するもの」と判断し、全面否定したのだ。それを高く評価しておいて、なぜ同時に連合国の「文明の裁き」を部分的にでも認められるのか?(パール真論:221ページ)

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はっきり言って、「パール判事も正しいが、東京裁判も全面的に間違っていた訳では無い」等という意見は絶対に成立しない。パール判事が東京裁判を全否定している以上、東京裁判を(一部であれ)肯定するのであれば、パール判事の法感覚を否定してみせなければならないからである。

id:Apeman氏が「パール判決書に興味がない」と冷淡なのも、中里成章『パル判事』が「おわりに」で述べていることも、そういう考えだからではないだろうか。
具体的に意見書のどこに問題があるのか指摘もせずに「少数意見だから」「(個人的に)興味がないから」などと逃げているApemanさんは論外として、中里成章氏の「パール意見書批判」も不十分な事この上ないものである事は既に述べた。東京裁判を肯定するのであれば、それと対極の位置にあり、ましてや「判事」として東京裁判に直接的に関与したパール判事を無視する事など出来る訳が無い。

>パール判事の「世界連邦による完全に平等な裁きの実現」という理想は確かに美しい。しかし、では世界連邦が成立するまでの不完全で不平等な世界では、東京裁判を否定し続けて何もしなくていいのだろうか?

パール真論に書いてある内容を持って反論に代えさせて頂く事にする。

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東京裁判にはもちろん不備はあったが、戦後の国際秩序を作った政治的意義は認めるべきだ。」
こんな意見を言う学者がよくいる。しかしこれが詭弁であることはパールが判決書の結論である「勧告」にはっきり書いている。

「(戦後の秩序のため日本の懲罰が必要だったというのであれば)真の究極の「証明スベキ事実」は世界の「公の秩序と安全」に対する将来の脅威であろう。かような将来の脅威を判断する資料は、本裁判所(東京裁判)には絶対にない。(判決書下:741ページ)」

憎むべき敵の指導者を裁くことによって熱狂した感情は「世界連邦」の建設を考慮する余地も残さず、平和の真の条件に対する民衆の理解は増進するどころか、かえって混乱させられるであろう。・・・パールはそう記した。そしてこれが真実だろう。(パール真論:357ページ)

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東京裁判を全否定するのではなく、東京裁判を受け入れてこそ、日本がアメリカの原爆投下などの戦争犯罪を問うことができる、と。逆に日本が東京裁判を全否定すれば、永久に原爆投下を裁くことはできないだろう。
私の書いた記事の内容が誤解されているようである。私は何も、日本の犯罪も暴くならアメリカの犯罪も暴けなどと相対的な事は言っていない。

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もし非戦闘員の生命財産の無差別破壊というものが、いまのところ、いまだに戦争において違法であるならば、太平洋戦争においては、この原子爆弾使用の決定が、第一次世界大戦中におけるドイツ皇帝の指令および第二次世界大戦中におけるナチス指導者たちの指令に近似した唯一のものであることを示すだけで、本官の現在の目的のためには十分である。このようなものを現在の被告(日本)の所為には見出しえないのである。(パール判決書下:592ページ)

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アメリカの「原子爆弾投下の指示」に匹敵するような戦争犯罪を、日本が犯していないという判断である。パール意見書を全面支持する立場としては、犯罪者であるアメリカが、犯罪者ではない日本を裁くという支離滅裂な裁判だとはっきり言ってのける事が可能なのである。

またrekihikoさんはパール判事が「法実証主義者」であると思っておられるようだが、パール判事がそのような立場であるなら、意見書の半分を占める程にまで、「平和に対する罪」に該当する「全面共同謀議」の成立の可否について書くはずが無い。判事は「事後法だから議論の余地もなく却下」等という乱暴な事は決してしてはいない。「法実証主義」で日本を無罪にし、それ以上の事は一切していないという評価は、(勿論rekihikoさんが意図しているとは言わないが)パール判事に対して失礼であると言えるだろう。