「君が代問題」をどう収束させるか?

rekihiko2さんより以下の記事についてコメントを頂いた。

http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20120325/1332647501

>日の丸・君が代について「空気を読め」というのは、それに対して「侵略・弾圧の象徴」として精神衰弱を引き起こしてしまう人に対して、無頓着な発言だと思います。さらにそういう人を「社会人として不適格」というのは、さらにあまりにも無頓着な発言だと思います。
 不起立によって生じる問題は、それこそ「空気が乱れる」程度のものならば、不起立は個人の自由でいいと思います。確かに一部の人は空気が乱れることを不愉快に感じるでしょう。しかし同じように日の丸・君が代を「不愉快」だと感じている人がいる以上、リベラリズムの精神にのっとって言えば、不起立を許容すべきです。

まず私個人の立場で申し上げると、別に不起立教員がいる事自体はどうとも思わない。君が代がそんなに嫌いだと言っている人物に、無理矢理立たせて歌わせようとする行為に何の意味があるのか分からないのだ。少なくとも学校現場に関して、現在私は全く無関係の立場にある。ニュースで流れている程度の情報で、「教育はこうあるべきだ」とか偉そうに意見を言える立場でも無い。極端な話、学校や教育委員会の判断で国旗掲揚や国歌斉唱を中止すると言うのであれば、それはそれで構わないと思っている。私は個人として日本という国、ひいてはその象徴である日の丸、君が代に対して敬意を払っているが、その思想を他人を押し付けるつもりもなければ、必要も無いのに実生活上で誰かに披露しようとも殊更思わない。

しかしrekihiko2さんからご指摘を受けたように、過去記事で私は不起立教員を非難して来た事は紛れもない事実である。上記で書いた事と矛盾するかも知れないが、卒業式の場で国歌斉唱の際に、起立する教員と起立しない教員が混在する状況に対し、やはり抵抗がある事も否定出来ない。それは何故だろうか?

まず、私がその学校の校長の立場になってこの状況に直面したとする。私はどう思うだろうか?不起立する教員に対し何ら含む所は無いし、別に君が代を嫌悪していようが特にどうという事も無い。しかし卒業式の場には生徒、父兄、来賓がいる。わざわざ「一同、起立」なんて号令を掛けておいて座っている教員がいれば嫌でも目立つ。教員だけでなく、学校そのものが変な目で見られるかも知れない。私には学校責任者としての対面がある。恥はかきたくない・・・。単なる予想であるが、職務命令として起立を指示している校長の心情も、大抵こんなものでは無いだろうか?

id:rawan60さんに言わせると、今の日本社会は「概ね保守・右派によって構成され、その代表が権力を行使し続けている」状態(※)にあるらしいのだが、そうだろうか?少なくとも学校の校長が総じて右翼なんて事は流石に無いはずだ。確かに国歌斉唱を拒否する校長なんてのは見た事が無い。大抵は、校長VS教師という構図である為、少なくともサヨク思想の校長なんていないのでは無いかと錯覚するのも無理は無い。実際のところは、上記のように世間体を気にしている校長が大多数では無いかと推測している。実際国歌国旗法成立の契機となった所沢市の公立校において、国家斉唱を指示する教育委員会とそれを拒もうとする教職員組合の板ばさみに合い自殺するに至った校長が、思想的に右寄りだったとはとても思えないのだ。

君が代を拒否する教員に事情があるのなら、君が代を強制する立場にある校長にだって事情はある。教員に配慮して不起立を認める事で、校長の面目を潰すような事態は避けるべきだと考える。

では実際にどこに落とし所を見出すべきだろうか?私なりに真剣に考えた。起立を強制すれば教員に対して精神的苦痛を与える。不起立を認めれば校長の立場を悪くする・・・。結論として出たのは結局卒業式そのものに、不起立する教員を参加させない事である。既にこのような措置は取っているのかも知れないが、卒業式の日にその教員に休暇を取らせるか、もしくは職員室で待機させる。あるいは、卒業式会場の人目に付かない場所に座らせておくなど・・・。不起立する教員と起立を命じる立場の校長の利害を何とか一致させるには、正直この手しか無いように思う。

表面上でも良いから、卒業式という行事は粛々とこなすように心がけるべきである。政治的、思想的な対立を持ち出してはならない。厳密に言えば、そのようなものを子供に見せるべきでは無いと考えるのだ。左派は「国歌斉唱を強制する側こそが子供に特定の思想を植え付けようと企んでいる」と主張しているが、私に言わせれば「君が代を憎む思想を有していて、その思想を(卒業式で斉唱する場で不起立という立場を取る事により)披露する」行為の方が、余程子供に悪影響を与えるように感じている。何故そのように断言するのかと言えば、国歌斉唱時に起立している教員については、その思想信条を特定する根拠にはならない(立っているからと言ってウヨクとは断定出来ない)が、不起立の立場を取る教員は、その思想信条をほぼ間違いなく特定出来る。教員が意識しているか否かに関わらず、不起立行為は、その教員自身が左派的思想を持っている事を周囲に披露しているのである。別に教師が左派的思想を持つ事が悪い訳では無い。しかし教師が左派であるが故に、その下で教育を受けた生徒が左派思想に染まるなんて事は絶対にあってはならない。内心がどうであれ、中立、公正な教育を担うのが教員の義務である。教育内容に自身の思想を反映させるのはもっての他であるが、間接的な形であれ、そのような思想信条を抱いている事を生徒に知らしめるような事が無いように配慮すべきだろう。

rekihiko2さんは、「不起立を許容すべき」と意見された。私はこれまで「公私混同」「空気を読め」等と、結果的には教員側に一方的に譲歩させるような意見しか書いてこなかった。そこから一歩引いて、教員、学校双方の面子を守るような解決策が無いかと考えた結果が上記である。申し訳ないが、これは「不起立を許容する」ものでは無い。

rekihiko2さんからのおしかりの意見を頂く覚悟で投稿する次第である。申し訳ない。これが私の限界である。

※rekihiko2さんのブログのコメント蘭より
 http://d.hatena.ne.jp/rekihiko2/20120325/1332662960