南京攻略戦と原爆投下も全く違う


南京事件と原爆投下は全く違う」
http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20120302/1330694707

上記記事について、id:uchya_xさんよりコメントを頂いた。

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あたなが思うほど両者に違いがあるわけではない。
日本軍には南京を爆撃で破壊する案もあった。毒ガス弾の使用も念頭にあったので無差別大量虐殺を企画していた事になる。
結果的には実行されなかったが、それは非戦闘員の被害を思っての事ではない。
なぜそう言い切れるかと言うと、海軍は南京攻略に先立って、南京に対する都市爆撃を継続的に行い、民間施設と非戦闘員に被害を与えている。
日本軍が爆撃による破壊ではなく占領を選んだ理由は、当時の航空攻撃では戦果が限定されるという事情によるものでしかないんだろう。原爆投下とどれほどの差があるのか?

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要約すると、「日本は南京市に対し無差別大量虐殺を行う計画があった。結果的には「占領」を選択したとは言え、計画段階で原爆投下と似たような事を行おうと企んでいた」となるだろうか?

まずもって、私は南京事件が良くて、原爆投下が悪いなんて言ってはいない。よって「原爆投下とどれほどの差があるのか?」等という質問には答えようがない。第一、uchya_xさんと私の間において、「南京事件」の定義についてコンセンサスが取れていない。私は上記記事で南京事件を「南京市における日本軍兵士による虐殺・略奪行為」と定義しており、それによれば、南京市の爆撃というのは「南京攻略戦」の範疇になる。

いずれにせよ、そのような案があったという事実を示すだけでは、実際に行われた原爆投下と等価に扱うのは最初から不可能である。失礼を承知で言わせて頂くならuchya_xさんの反論は論外であると言わざるを得ない。


では、南京攻略戦と原爆投下について考えてみたい。

南京攻略戦の目的は、読んで字のごとく南京市を攻略する事だった。uchya_xさんによれば、それを達する手段の一つとして、「無差別爆撃」も候補に挙がっていたそうであるが、爆撃にせよ武力による占領にせよそれは「目的を達する手段」と見なせるものである事に変わりは無い(繰り返すが良い悪いの問題では無いし、事実として「無差別大量虐殺」という手段は選ばれていない)。

それに対し原爆投下の目的は何だったのだろうか?アメリカの公式見解としては、「対日戦争の早期終結の為」だったそうであるが、これが真相であるとは言いがたい。

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「いったいあの場合、アメリカは原子爆弾を投ずべき何の理由があっただろうか。日本はすでに降伏すべき用意ができておったのである。ヒロシマ原子爆弾が投ぜられる二ヶ月前から、日本はすでにソヴィエトを通して、降伏の相談、交渉をすすめる用意をもっておったのである。当時すでに日本は、連合軍の戦いにおいて敗北したということは、明白に分かっておったのである。彼ら(アメリカ)はそれを充分知っていたにもかかわらず、実に悲惨なる破壊力を持つところのこの原爆を、日本にたいして投じたのである。しかもこれは一種の実験として、この日本に投じたのである。」(パール博士「平和の宣言」111ページ)

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「日本に対しての原爆投下命令は日本に対しての降伏勧告がなされる前に発せられていた」「ウラン濃縮型とプルトニウム型という異なるタイプの原爆を、2つの別々の都市に投下した」という事実関係から、上記パール判事の見解が妥当であると考える。

上記によれば、「日本を降伏させる目的を達する」為に、原子爆弾を使用する必要性は無かったという事になる(「ソ連に対する威嚇」「生体実験」等と言うものは、対日戦争には全く関係の無い目的であり、「日本に投下する目的」とはなりえない)。


南京事件と原爆投下は「国家の行為か否か」と言う観点で全く性質が異なる。南京攻略戦と原爆投下は、「目的を達する手段として認められるものか否か」という点において全く本質の異なるものである。どちらのケースも、相対的に扱えるものではない。