東條英機の人物評と戦前の日本の評価の共通点

東條英機
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%A2%9D%E8%8B%B1%E6%A9%9F

勿論ウィキペディアの記事などを元に東條英機を語るなどと大それた事をするつもりは無い。ただ何というか、東條英機についての評価の難しさを物語るような記事であるというニュアンスを理解するのには役立つだろう。

東條英機の人物像は極めてつかみ辛い。彼を単純に「悪人」と評するのは非常に簡単だろう。「人事権の濫用で政敵を懲罰的に召集した」「憲兵を使って国民生活を監視し、言論弾圧を行った」「戦争指導力があるとはお世辞にも言えず、大局的ななビジョンも無く目先の戦局を打開する事しか頭にない無能」など、数え上げたらキリが無い。それに加え、東京裁判において「昭和3年から一貫して行われた共同謀議の頭目」などという大物(実際に彼が政治に携わることになったのは昭和15年からのはず(記憶違いなら申し訳ない))に仕立てられた事も関係しているのか、戦後の日本社会において悪評が更に高まった感がある。例えば彼が陸相時代に発布した「戦陣訓」の一節である「死して虜囚の辱めを受けず」が日本軍の玉砕や、軍人だけでなく住民にまで及んだ自決の元凶となったという話を良く聞くが、自決する意思の無い人間が、上記文章を読んだだけで自ら死を選ぶような境地に至るという解釈には少々違和感が残る。ビルマ作戦における捕虜と戦死者の比率はなんと1対120との事で、確かに日本兵の心情に「捕虜になる事を恥」という概念が強くあった事は疑うべくも無いが、その心情が戦陣訓の一節から生み出されたものであるという意見には流石に賛同しかねる。推測であるが、結局の所これは東條叩きの手段でしか無いのではないだろうか?

東京裁判で戦犯指名された中で死刑判決を言い渡されたのは7名であるが、その中でも知名度が最も高い(というより別格)のが東條英機だろう。誰もが「東條だけは絶対に死刑だ」と考えていたようで、当の本人もそれは確信していた。検事団すら死刑判を意外に感じ、減刑を求める署名運動まで起こった広田弘毅とは対照的だと言える。

東條が東京裁判の証言台に立って答弁した際に、彼自身の口述により作成された供述書を弁護人が朗読した。その内容をかいつまんで言えば、「対外的に日本に戦争責任は無いが、国内における責任(いわゆる敗戦の責任)は全て自分にある」と、一切自己弁護の類をしていない。その姿勢だけなら「男らしい」と少しは好感が持てるような気もするのだが、実際には内外から非難の嵐だったそうである。敗戦、自殺未遂と言った事柄が全て東條の悪評に繋がっており、もはや彼の成すこと全てに負のイメージがつきまとっていた事は疑いない。

いつもの事ながら無知な私が語っても余り意味は無いだが、断片的な情報を元に個人的に抱いた東條英機像というのは、とにかく面倒臭い人間では無かったかという事である。恐ろしく几帳面で細かく神経質、規律にやかましく物凄く些細な事にまで神経を尖らせる。プライドも自意識過剰なまでに高く、少しでも気に障る事を言えば懲罰を受ける。仕事内容については、事務職にはとことん向いておりその能力は高く評価されているものの、管理職としては長期的なビジョンも持たず、具体性の無い精神論ばかり語っているなど、上司として付き合うのは御免被りたいタイプの人間であるように思う。実際に彼の下で働いた人間の多くが「七面倒臭い親父」という印象を抱いていたのでは無いだろうか?何というか、側にいると非常に疲れる人物のような印象が強いのだ。

私が知る限りにおいて、東條を脚色無く最も的確に評価した人物は、同じくA級戦犯として起訴された重光葵では無いだろうか?

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「東條を単に悪人として悪く言えば事足りるというふうな世評は浅博である。彼は勉強家である。頭も鋭い。要点をつかんで行く理解力と行動力と決断とは、他の軍閥者流の及ぶところではない。惜しい哉、彼には広量と世界知識とが欠如していた。もしも彼に十分な時があり、これらの要素を修養によって具備していたならば、今日のような日本の破局は将来しなかったであろう。」

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タイトルに書いてある通り、東條に対する戦後日本の評価のされ方と、戦前の日本に対する評価のされ方が似ているような気がしているのだ。「日本が悪」という前提の下、国家の行為とは定義されない事柄を「国家の犯罪」として扱うなど、戦前日本の悪い面だけを執拗なまでに強調する姿勢は特にだ。繰り返しになるが、東條を悪人と見なす事自体は極めて容易なのである。彼の経歴からネガティブなものだけ抜き出せば、それこそヒトラーと同等の独裁者などと言ってのける事も可能だ。こういう手合いに対し、東條を肯定的に捉える意見や彼の言動を弁護するような意見を紹介しても無意味だろう。戦前の日本と同じで、東條英機を悪く思おうと思えば、それはいくらでも可能なのである。

参考文献:小林よしのり氏著『いわゆる「A級戦犯」』

いわゆるA級戦犯―ゴー宣SPECIAL

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