松井石根の死刑判決は妥当か?


「東條英樹の人物評と戦前の日本の評価の共通点」
http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20120419/1334846708

上記に引き続き、東京裁判での死刑囚についての考察である。

東京裁判で死刑判決を受けた7名の内、松井石根(元上海派遣軍司令官)はその性質が異なると言える。A級戦犯としての容疑については無罪を言い渡されており、「南京暴虐事件」での不作為責任が死刑判決の根拠になっている(BC級戦犯としての容疑)。

まず東京裁判で扱われた南京事件の概要を挙げておきたい。そもそも検察側は冒頭陳述で当該事件「組織的・計画的犯行」であると主張しているが、その証拠は最後まで提出出来ていない。これは南京で虐殺があった場合でも、アウシュビッツや広島・長崎とは全く性格の異なる「個人的・暴発的犯行」と定義される事件である事を示していると言える。松井に対する死刑判決の根拠が「虐殺の指示・命令」では無く「不作為責任」である事からもそれは明らかである。

次に、東京裁判で検察側が南京事件をどのように「立証」したのかを追ってみたい。出廷した証人が9名、宣誓供述書や陳述書による証言17名、その他の文書11通、これら37の証言・文書が検察によって提出された「証拠」である。

パール判事も指摘したとおり、これらの証拠は怪しいものばかりだった。裏づけの一切ない伝聞の証言などは言うまでも無いが、体験談も杜撰極まりなく、同一現場からの複数の証言が一組として無い上に、なぜかほとんどの殺戮現場において常にたった一人の人間が妙に似た方法で生き残るなどと不自然なものばかりであった。

証拠として不十分と言えるようなこれらの証言や文書は、その真偽が全くと言って良いほど問われもせずに「証拠」として採用されている。「偽証罪」の無い東京裁判ならではの荒技と言って良いほどだろう。

勿論南京事件がなかったとまで証明出来る訳では無いし、パール判事も東京裁判の時点では、一定数の虐殺行為があった事自体は認めている。そしてある意味これが決定打になっているのかも知れないが、松井本人が南京事件を否定していないのである。「興奮した一部若年将兵の間に忌むべき暴行を行った者があったらしい」とその一部を認めている。これは決して検察が主張するような大虐殺を意味している訳では無いのだが、この辺りのニュアンスが上手く伝わらなかったと言われている。

なお、南京事件はこの20年余りの間に急速に研究が進み(著者としては笠原十九司が有名だろうか。ネット上では(私が知る限りでは)id:Apeman氏が詳細に研究されているようだ)、東京裁判当時よりも精度の高い情報が得られるようになったようである。だが重要なのは、東京裁判で提出された杜撰極まりない「証拠」を元に松井が死刑に処されているという点である。勿論現在の研究が進んだ「南京事件」を元に松井を裁く場合でも、死刑を課すのが妥当であるかは疑問ではあるが。

最後の松井自身の心情に触れてみたい。現在中国から極悪人呼ばわりされている松井ではあるが、松井自身は日中友好論者であったそうだ。中国駐在中に孫文の思想に共感し、その手助けをしたし、日本留学中の蒋介石とも親交があった。日中戦争では中国と敵対する格好とはなったものの、帰国後に日中双方の戦死者を共に祀る「興亜観音」を建立し、近くの山麓に庵を建てて住み、毎朝観音経をあげて菩提を弔う隠棲生活を送ったという話は有名である。逮捕後巣鴨プリズンで拘留されている間も、欠かさず観音経をあげていたと言う。彼の経歴を見る限りにおいて、生涯を通じて中国を愛していた事は疑うべくもない。その彼が、現在の中国において極悪人として認知されているというのは皮肉と言う他ない・・・。


参考文献:『いわゆる「A級戦犯」』