雑記

リハビリついでにパール判事の言葉を紹介したい。

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「われわれは自由なる人間であり、自由なる人間のために法をつくった。これらの法は、人間の手によってつくられたがゆえに、おのずからそこには、欠陥も、誤りもあり、失敗もあり得る。しかしながら東京及び各地で、連合国によって行われた軍事裁判は、故意に不公正が行われ、故意に誤りがおかされた。このことは人類の法的正義にたいする信頼感を侵害したもので、今次大戦の最大の災害であったと思う。(パール博士「平和の宣言」162ページ 1952年11月11日の巣鴨拘置所における講演より)

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東京裁判を肯定する者の意見で多いのが、「東京裁判は確かに不備も多いが一部は認められる部分がある」というものである。考えをめぐらせて見ると、人間がつくったものである法は不完全であるとは言え、その時点において絶対的な判断基準である事も確かだ。要するに東京裁判が法的見地から不完全であっても、その意義が全て否定されるものでは無いという意見は一見成り立つように見える。しかし上述のパール判事の意見を見ればそれが詭弁である事は一目瞭然であろう。法が不完全であるが故に東京裁判に法的不備が生じたのでは無く、連合国側が故意に法を無視して裁判を行った事を問題視しているのが、パール判事の見解なのである。

後、「東京裁判を否定するなら、日本が何の法的違反行為を行っていない事を証明してみせろ」といった主張もたまに見かける。立証責任を負っているのが検察側で、国家の犯罪を立証出来なかったからパール判事が無罪判決を下したという前提が理解出来ていないのか、それともある殺人罪に問われた被告又は弁護士に対し、検察が「殺人を犯していない事を証明してみせろ」と主張する事を是とする立場を取っているのだろうか?