雑記

http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20120531/1338471977

上記記事について、あり難い事にid:Apemanさんよりブックマークコメントを頂いた。

>「大体東京裁判で裁かれているのは国であり」 はい、アウト。

「アウト」と言う事は、Apemanさんの解釈は「東京裁判裁判で裁かれているのは国では無く個人」という事なのだろうか?

私が上記のような見解を示しているのは、言うまでも無いがパール判事の解釈に沿っているからであり、それ以上でもそれ以下でも無い。

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「本官の見解によれば、ここに述べられた行為はすべて国家の行為である。そして、これらの被告がなしたとされている行為は、すべて政府の機構の運用にあたってなしたものであって、政府機構の運用の義務と責任は、時局の推移にともなってかれらの負うところとなったのである」(パール判決書(上))
「今次行われた戦争はまさに日本という国の戦いであった」(同)

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例えばナポレオンを例にすると、フランスの統治権を国家から簒奪していた事を根拠に、彼が起こした戦争を「ナポレオン個人の意思によるもの」と定義する事は可能だろう。しかし日本の場合、東條英機にせよ広田弘毅にせよ、憲法に従って日本国の機構を運営する為に行動していたに過ぎない。これは彼らに個人としての責任が無いとかそんな次元の話ではない。彼らの行為は日本国としての行為に他ならないと言っているのである。

ついでに、id:uchya_xさんから頂いたブックマークコメントにも返答させて頂く事にする。

東京裁判の不当性を訴えれば、それはそれ以上の鋭い刃として大日本帝国が国家として犯した罪を告発する言葉になる、という事がわからないらしい。

東京裁判の不当性を訴える事により大日本帝国の罪を告発する事を意味する」というのなら、存分にやれば良いだろう。というより、そんなことは誰から頼まれる訳でもなく、正義感の強い善良な戦後の日本人(※)が既に(飽きもせずに何十年も)やっているでは無いか(笑)。何を今更と言う話だ。

 ※見方によっては、蛸壺にはまった蛸のように見えなくもないが