雑感

左派と議論していて非常にもどかしいのが、「無知」とか「無学」だとか言っているだけで済ませる方が多い事である。

例えば私はパール判事を通しての法哲学しか知らず、それを持って「無知」で「無学」だと言われても仕方が無い部分もあるだろうし、そう思われるのは別にかまわない。私が主張しているのは東京裁判の不当性であり、法哲学そのものでは無いのである。それを勉強しないで東京裁判を否定する事が愚かしいと言うのなら、実際にその博学な法哲学知識を持ってパール判事の法哲学を否定して見せれば済む話では無いか。東京裁判を肯定し得る法的解釈があるというのなら、それを具体的に示して見せれば良い。私がその意見に感銘を受け、東京裁判にも肯定すべき点が見つかったと判断した場合は、撤回なり謝罪をする事もやぶさかでは無い。しかし「お前は無学で無知だ」なんて批判だけでは、そもそも議論のしようがないのだ。

以下のブックマークコメントは、その具体例と言える。

>「私が上記のような見解を示しているのは、言うまでも無いがパール判事の解釈に沿っているからであり、それ以上でもそれ以下でも無い。」 はい、アウト!

パール判事の解釈に沿っていることに対し「アウト」と言っているようだが、要するに「パール判事の法的感覚」を批判的に見ている事を意味している。しかし過去に議論した際に聞いたこのコメンターのパール判事批判は、お粗末極まり無いものだった。何だか上手い事言った気分に浸っている所申し訳ないが、端から見ると滑稽な事この上ない。「パール判事だから駄目」じゃなくて、「パール判事のどこが駄目だから駄目」とまで踏み込んだ批判でなければ意味を持たないのだ(勿論、東京裁判の欠席率が高いからなんてのは論外だが)。

仲間内で「ネット右翼は無知だなあw」「そうだなあw」なんて馴れ合ってばかりでは無く、その豊富な知識を使って具体的に反論してみたらどうなのか?

いやネット右翼などまともに相手にする気にならないという事だろうか?左派というのは、随分高い所にいるようである。まあ、それならそれで仕方ない。