現在の価値観で過去を裁けない理由

「戦争において、はじめの加害者の認識がせまかったことを理由として、なぜか被害者の訴えを除外しようとする人々」
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20130812/1376266020

国際法の概念すらなかった中世ヨーロッパの時代の戦争では、勝者が絶対的な権限を持ち、敗者の生殺与奪を決めていた。一方的な法律で一方的に裁き処刑するという蛮行が横行していた。そのような歴史を省みて、国際法が誕生した経緯がある。過去の不幸な出来事を省みて、二度と同じ事を繰り返すまいと後世に語り継いで戒めとするという行為自体は正当なものである。

ただそれは、過去を裁くという意味では無い。現在の価値観で過去は裁けない。織田信長を現在の価値観で「極悪人」などと評する声はほとんど聞かないし、事実日本史上屈指の人気者である。

慰安婦問題は約半世紀経ってから問題が顕在化するという珍しいケースであるが、女性の人権が強く叫ばれるようになった現在で慰安所のようなものが存在していれば大問題だろうが、当時は問題にはならなかったし、事実、別段非難もされなかった。東京裁判慰安婦への仕打ちという面で訴追された面はあっても、慰安所の設置そのものを問題視するような声は私が知る限り挙がっておらず、判決でも触れられていない(「人道に対する罪」として挙がっている事実も確認できない)。現在の価値観でこそ「不正義」と判断出来る行為でも、当たり前に存在していて、「不正義」だという意識すら無かった当時の為政者を、一方的に現在の価値観で悪と断罪するような行為は不公平だと言わざるを得ないのだ。後出しじゃんけんのようなものである。

以前にも書いたが、慰安婦問題をある種の教訓とし、今後に活かす目的で研究していくと言うスタンスであれば何も言わないが、賠償問題にまで発展させてもらっても困るのである。(慰安婦問題が事実上の日韓問題である為、ここでは敢えて日韓間に限定するが)日本の戦後補償は既に終わっており、それすらも既に歴史上の出来事である。それを勝手に反故にする権限など、現日本政府にも無いからだ(むしろこのような行為こそ「歴史修正主義」と呼ぶに相応しいのでは無いか?)。

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慰安婦への賠償責任は誰が負っているか」
http://d.hatena.ne.jp/syachiku1/20120901/1346509973