パール判事の反共イデオロギー?


「パール判事の反共イデオロギー
http://taimen.hatenablog.com/entry/2014/02/28/115529

上記、rekihiko222さんからのトラックバック記事への返答である。

まずブックマークコメントで、私が「パール判事は反共主義ではない」と取れる書き方をしたのであればそれは間違いである。パール判事が共産主義をどのように捉えていたかは知らないし、意見書内にそれを示す記述も無い。この点は訂正させて頂きたい。

rekihikoさんによれば、当時の世界が「共産主義勢力の台頭を懸念していた」とは到底言えないそうである。故に共産主義が世界から警戒されていたという認識を示したパール判事の事実認識がめちゃくちゃだとの事である。結論から言わせて頂ければ、rekihikoさんの認識の方が余程めちゃくちゃである。

確かに共産主義が猛威を振るうのは、どちらかと言えば冷戦に入ってからなので、「程度」という点で論じてしまうと難しいと言わざるを得ない。

しかしrekihikoさんの挙げた例示は、「「世界は共産主義勢力の台頭を懸念していた」とは到底いえない」事を証明しているようには見えない。世界情勢が流動的だった事は否定しないが、ソ連が国連に加盟したとか、人民戦線戦術がどうとか言う事象が、共産主義を懸念する声が小さくなった事を証明しているとは言えない。独ソ不可侵条約の締結は世界(中でも日本は特に)を驚かせたが、別にイデオロギーでこの2国が歩み寄りを見せた訳では無い。ドイツ、ソ連双方に思惑があった末の条約であり、そこにあるのは損得感情だけだった。rekihikoさんの挙げた例示は、共産主義者が自身に都合の良い事柄を挙げて思想をアピールしている程度(rekihikoさんが共産主義者だと言っている訳ではない)の代物で、取るに足らない。

確かにファシズムが台頭した当時は、共産主義よりも警戒する声が大きい時期があった点も否定はしない。また、ルーズベルト大統領(当時)など、社会主義共産主義)に寛容とも言える思想を持つ人物もいた事だろう。しかしルーズベルトのような意見を持つ者が多数派であったとは言えず、事実次に就任したトルーマン第二次世界大戦終結前から共産主義を警戒していた。

というよりも、共産主義が世界から警戒されていた事は、戦後の冷戦構造が完璧に証明しているでは無いか。ファシズムの影に隠れている印象はあっても、共産主義への危機感が薄れていたなんて事は無い。それともrekihikoさんは、第二次大戦が終わってから共産主義の危険性が認識され始めたとでも言いたいのだろうか?もしそうなら、きっかけとなった具体的な出来事でも挙げて証明すべきだろう。冷戦自体は、第二次大戦後期から実質的に始まっていたと言われている。結局ロシア革命以降、共産主義が世界から警戒され続けて来たと考えた方が遥かに自然だろう。


私のブックマークコメントで、もう一点訂正すべき点がある。パール判事がまるで「全世界が共産主義を脅威と感じていた」と断言したかのような書き方は間違いである。より正確には、以下のように書かれている。

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かような事情において一般に感じられていることは、共産主義の発展は正当な観念によって導かれておらず、したがって共産主義者はそのほかの世界にとって真に信頼のおける安全な隣人では無いということである。かような感情(反共主義)が正当なものかどうかは、本官の論ずべきことではない。このような感情は、世界のもっとも賢明な人々がかならずしも一様に抱いていたところではなかった。(パール判決書(上)504ページ)

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パール判事は、当時共産主義に世界の人々が抱いていた感情を論証しただけで、別段何の評価も下してはいない。そして日本が中国の共産主義に危機感を抱いた末に満州事変が起こった可能性も考えられる事であり、「共同謀議」に基づく侵略計画によるものでは無い根拠の一つとして挙げているのである。


しかしつくづく思うに、rekihikoさんはパール判事をとにかく否定したくてたまらないようである。私が知る限り、それらの論評はほとんどが的外れではあるが、かさねがさね私の記事がかえってパール判事の印象を悪くしてしまっている事について、申し訳なく思う次第である。